苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史35 宗教改革の先駆(2)エラスムスが卵を産み、ルターが・・・

2.ルネサンス・フマニスム人文主義 humanism)

(1)ルネサンス宗教改革
 ルネサンス宗教改革との関係については、見方がいろいろある。ヤコプ・ブルクハルト は、中世の本質をその画一性・統一性に見て、ルネサンスの本質を「個の発見」であると見る。たとえば中世に造られた礼拝堂や絵画について作者名はいっさい知られないが、ルネサンスにはもろもろの天才が出現し個性的な作品をのこしたというふうに。この観点からすると、一人教皇庁に立ち向かった強烈な個性ルターもルネサンスの子とみなされる(ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』)。
 エルンスト・トレルチ はルネサンスの本質を此岸性と見る。つまり、中世は彼岸性をその特質として次の世への関心が高い時代であったが、ルネサンスは現世肯定的な価値観に立つものであった。この変化は絵画などに顕著に現われている。この観点からすると、ルターは中世人であってルネサンス人ではないことになる(『ルネサンス宗教改革』)。
 それぞれ一理あるが、我々聖書主義に立つプロテスタント歴史観からすれば、むしろ次のように見るべきであろう。そもそも中世というのは、ギリシャ・ローマの異教的古代と、古代キリスト教の綜合であった。アテネエルサレムの綜合、ヘレニズムとヘブライズム綜合といってもよい。もうひとつ加えればゲルマニズム。ではルネサンスとは何かといえば、異教的古典古代(ヘレニズム)の再生を目指すものであり、他方、宗教改革は古代の本来のキリスト教(ヘブライズム)の再生を目指すものであった。そういう意味で、ルネサンス宗教改革は両者とも「源泉への回帰」を目指すという点で類似しているけれども、本質的に異なるものである。ルターとエラスムスは表面上、ともにローマ教会への批判をしている点で似ているけれども、目指すところは異なっている。

(2)フマニスムと宗教改革
このルネサンスにおいて重んじられたのが古典の文献学的研究であり、フマニスム(humanism人文主義)と呼ばれた。フマニタスというのは古代ローマから用いられたことばで、ローマ人の持つべき教養という意味である。その教養の研究が中世にフマニスムと呼ばれた。フランス語ではユマニスムhumanismeと呼ばれる。英語ではヒューマニズムhumanismというが、日本語ではヒューマニズム人道主義の意味で使われるけれど、人道主義はむしろhumanitarianismの訳語である。
 それがどうして訳語として人文主義というように「文」の字をはさむかというと、彼らがギリシャ・ローマの古典文芸の原典研究にきわめて熱心であったからである。人間の人間たるゆえんの一つは、理性をもって言葉を用いることゆえ 、古典の言葉の研究によって、人間の「再生(ルネサンス)」を目指したのである。
 十字軍と東方貿易によってイスラム世界や東ローマから古典古代の学問が入ってきてフマニスムは盛んになるが、特に1453年、オスマン・トルコ軍10万に包囲されて東ローマ帝国の都コンスタンティノポリスが陥落したとき、多くの学者たちが西欧とくにイタリアに避難して来て多くの古典文献を持ち込んだことにより、西欧に古典古代の新知識がもたらされた。聖書についていえば西欧の人たちはラテン語ウルガタと、ギリシャ語原文を比較できるようになったのである。
 ルネサンス最大のフマニストはエラスムス(Desiderius Erasmus 1467年?- 1536年)であった。宗教改革について「エラスムスが卵を生み、ルターがそれをかえした。」ということばがある。
 人文主義者たちが古典に見いだしたのは、中世ローマ教会の支配下に置かれる前のたいへん現世肯定的な人間性だった。なにしろギリシャ・ローマの古典の世界では神々までも浮気をしたり酔っ払ったりと露骨に人間的だった。こうした人文主義のなにが宗教改革にとっての「卵」になったのか。一つには天国の光を指さして、この世を仮の薄暗い世界とする中世の教会を彼らが批判したからである。中世ゴシックの絵画に見える聖母像が、およそ人間的でなくて天的なものとして様式化されて来たのに対して、ルネサンスの画家たちが描く聖母像はまさに生身の人間そのものとして描かれているのは、現世肯定的なフマニスムの現れだといえるであろう。また、エラスムスは『痴愚神礼賛』という文学的スタイルで教会と修道院の腐敗を徹底的にあざ笑った。宗教改革者たちが教皇庁を批判したのは、現世肯定的な意識からではなく神のことばである聖書からの逸脱という点だったから、中身はちがうのだが、表面上、批判する相手は共通していた。
 人文主義宗教改革のために生んだもう一つの卵は、古典文献の原典研究という方法である。それは聖書の原典を求める写本研究をも促した。ルターたち宗教改革者の神学論争における最大の武器は、エラスムスが校訂し1516年に出版したギリシャ新約聖書だった。中世教会はヒエロニムスが翻訳したウルガタと呼ばれるラテン訳を権威としてきたものを、改革者たちは原典主義に立つことによって確信をもって覆すことができた。神学論争において、フマニスムの原典研究の力をもった改革者たちはウルガタではなく、ギリシャ語本文・ヘブル語本文をもって答えよと、ローマ教会の対論者に言っている。今日、多くのプロテスタントの神学校で神学生たちがギリシャ語・ヘブル語を学ぶわけは、この伝統による。
 しかし、ルネサンス宗教改革の類似性はあくまでも表面上のこと<敵が堕落したローマ教会であったこと・原典回帰主義の二点>であって、目指すところと本質は異なっている。ルネサンスは楽観的人間観に立ち、現世主義的・合理主義的だが、しかし、ルターをはじめ宗教改革者たちは聖書のいうとおり深刻な罪深い人間観に立ち、希望をキリストに置いていた。
エラスムスの側に立った宗教改革理解は、渡辺一夫ヒューマニズム考』に平明に記されている。渡辺一夫のいた時代の東大仏文科は多くの有為な人文学者フマニストを輩出した。二宮敬、串田孫一森有正辻邦生大江健三郎たちは渡辺のもとに育った人々。)