苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

環境に関する聖書の教え

 松原湖の猪湖(標高1123m)を散策した。秋の始まり。
 



  
 小鳥にも福音を語ったという聖人フランチェスコにちなんで、現代の緊急の環境問題についての聖書のヒントを提示しておきたい。
 
1. 環境問題の危機的現状――地球温暖化――

「地球の気温が現在から2.4度上昇した場合、北アメリカでは新しく発生した埃(ほこり)の塊が、アメリカ中心部、ネブラスカ州を中心とした高原を砂漠化する。南はテキサス州から北はモンタナ州まで、北米の5つの州にわたって砂丘が出現することで、農業や牧畜が消滅する。グリーンランドの氷床の溶解が止まらす海面上昇が加速、環礁国や低地デルタ地帯を海に沈めることになる。ペルーではアンデス山脈の氷河が消え、1000万人が水不足に直面する。海水の温暖化は、グレート・バリア・リーフを消し去り、熱帯からサンゴ礁が実質的に消滅することになる。世界中で3分の1の生物種が絶滅する。
 3.4度の上昇で、アマゾンの熱帯雨林で、壊滅的な森林火災が起こり、南米大陸を灰と煙で覆う。煙が晴れると、ブラジル国内は沙漠と化し、大気中に放出された膨大な余剰炭素が、さらに温暖化を進める。北極の氷冠は夏期には消滅し、ここ300年で初めて、北極に氷のない状態ができる。北極グマ、セイウチ、そしてワモンアザラシが絶滅する。
カリフォルニアでは、シエラネバダ氷原の溶解で水不足が起きる。南アフリカを越えてカラハリ砂漠が拡がり、数千万の人々が立ち退きを余儀なくされる。
 4.4度上昇すると、北極圏の急激な温度上昇で、シベリアの永久凍土が溶解、膨大な量のメタンと二酸化炭素を放出する。世界の気温はその結果、急速に上昇を続ける。氷冠の溶解と海面上昇は、バングラデシュナイル川デルタ地帯や上海などで、1億人の人々が立ち退きを余儀なくされる。熱波と干ばつは、生活に適さない亜熱帯地帯をさらに生み出し、スペイン南部、イタリア、ギリシャで砂漠化が進むため、ヨーロッパでも大規模な人の移動が発生する。野生生物の半分は絶滅し、それは恐竜時代以来最悪の大絶滅となる。オーストラリアの農業は崩壊する。」(2007年2月3日「インディペンデント紙」抜粋)
 ちなみにIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、このままでは2100年の平均気温は、温室効果ガスの排出量が最も少ない場合には平均1.8度(予測の幅は1.1〜2.9度)、最も多い場合には4.0度(予測の幅は2.4〜6.4度)と上昇すると、2007年に発表した。


追記2012年5月>
 CO2地球温暖化犯人説は、ウソのようでもある。

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120426/p1


2. 西洋キリスト教に対する批判と聖書の教え

 リン・ホワイトが1967年に発表した「現在の生態学的危機の歴史的根源」以来、多くの人によって次のような主張がなされている。「キリスト教は、神が、人間を自然の支配者として世界に置いた人間中心の教えによって自然破壊を促進した。これに対して、東洋的な自然宗教は人間もまた自然の一部にすぎないと教え、人間は自然を尊敬し、これを破壊しない。」しかし、車に乗り、テレビを見、木を切り倒して造った家に住み、文明の利器を使っている自然宗教者のいうことは空論にすぎない。
 そもそも「自然」という曖昧なことばが聖書的でない。natureということばは、自然界、人や事物の本性、人は事物の性格というふうに文脈によってあいまいな意味で用いられてきたし、訳語としての「自然」は字義的には「おのずからそうなっているさま、天然のままで人為の加わっていないさま」(広辞苑)ということで、汎神論の臭いがする。
聖書的にはむしろ被造物というべきである。創造主との関係において、人間もその他の太陽も月も風も森の木々も獣も虫も魚も、ともに被造物である。主イエスは、空の鳥に野のゆりに学べといわれた。聖書の信仰は創造主中心であって、人間中心ではない。
なるほど創世記1:26は、神は人間を他の被造物とは区別される「神のかたち」として創造し、被造物を支配させたと教え、創世記1章は被造物崇拝から我々を解放する。創世記2章は、その支配とは、神のしもべとして、神のみこころにそって他の被造物を管理することを意味する。では、神のみこころに沿う被造物の管理とはなにか。「 神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創世記2:15)「耕す」ということばアーバドは、しもべ(エベド)と同根で、「世話をする、仕える」とも訳しうる。「耕し、守る」とは大地からの搾取でなく、むしろ利用しかつ世話をするということである。環境を保全しつつ利用することが、神の求めたまう人間の他の被造物に対するあるべき姿である。

3. 環境破壊の元凶はなにか――歴史を振り返り、現状を見る
 残念ながら、キリスト教会が創世記の1,2章の教えを正しく理解し、教え、実践してきたとは言い難いとしても、キリストの教えが自然を破壊し、自然宗教が環境を保護してきたという歴史の事実はない。もし自然宗教が環境を保護して来たということが事実ならば、オリエントや中国の自然宗教の地域では環境は守られて来たはずであろう。だが、実際はそうでなかった。
 かつて豊かな森林だったという古代メソポタミアは、今は不毛の地である。古代メソポタミア人は、いわゆる自然宗教者である。彼らは焼きレンガを作るためと、農地拡大のために森林伐採をした。その結果、森林の蒸散作用が失われて雨雲ができなくなり 、彼らは灌漑をしたが、その結果、川の水に含まれる塩分のために塩害が起こり砂漠化してしまった。
 古代中国もまた、自然宗教の地であった。ここでも万里の長城を築く為のレンガ製造のために森林が次々に燃料として用いられて消失していった。ゴビ砂漠はそのあとだと言われる。
 かつてヨーロッパは森に覆われていた。キリスト教宣教師が、ケルト人やゲルマン人が神として拝み動物やときには人を生贄として捧げた神木を切り倒したという事実はあるが、それは「森林破壊」でなく、彼らを子どもなどを樹木に生贄としてささげる迷信から解放するためのデモンストレーションにすぎない。
 実際に、ヨーロッパの森林を破壊したのは12世紀の農業革命と大開墾、そして16世紀以降の帝国主義諸国による植民地争奪戦のための軍艦建造競争である。スペインはかつての森林に覆われた緑豊かな国土を無敵艦隊アマルダと引き換えに赤土の荒野とした。そして、産業革命後、環境破壊はさらに世界に急激に拡大した。
 現代アフリカの砂漠化の原因は過度の焼畑農業である。中国も過放牧で砂漠化が急激に進んでいる。米国、オーストラリア、インドなどの経済効率優先の大規模灌漑化学農法も大地を砂漠化している。世界で毎年6万平方キロが砂漠化している。
 結局、歴史の事実と現状を見るとき、マモニズム(=経済第一主義)と戦争こそが地球環境破壊の元凶であったことがわかる。マモンこそは最強の偶像である。「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ:24b)マモンが登場すると、自然宗教の神々は吹っ飛んでしまうし、キリスト教徒も目が眩みがちであった。

結び
 地球環境問題の解決は、自然宗教の迷信に再び迷い込むことにはない。「耕し、守る」被造物管理のために、経済を正しくコントロールすることが必要である。我々は祭司として適切な祈り預言者として学びと教育、王としてライフスタイル改革と政治行動が必要。
「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。・・・被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。」(ローマ8:19‐21)