苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

宮村武夫著作をお求めくださって感謝します

 松原湖研修会で宮村武夫著作集の第一巻と第五巻を販売しました。第一巻を35冊、第五巻を27冊、求めていただくことができました。ありがとうございました。下記は、昨年秋、キリスト新聞に掲載された小生による第一巻の紹介文です。


紹介 宮村武夫著作1 『愛の業としての説教』       

 十月中旬、著者である宮村武夫先生が信州のわが家を訪ねてくださった。もみじした山々を眺めながら走る車中でも、食卓を囲むときも、地域の小学校の教室を訪れたときも、先生は喜びと情熱に満ちて聖書を語られた。先生にとって聖書解釈とは、聖書を正確に読むこと、聖書で人生と教会と世界とを理解すること、そして聖書にしたがってこの世界に生きることを含んでいる。聖書が万物の主がたまわった書である以上、それは教会の書であるにとどまらず、世界の書なのである。このたび編まれた著作集の第一巻の三部構成は著者のそうした聖書解釈の原点と、その豊かなひろがりの一端を示している。

 第一部「愛の業としての説教」では、聖書解釈の原理と方法、説教と組織神学との関係、聖書解釈と聖霊論との関係が提示されている。第二部は「日本クリスチャン・カレッジに学んで」である。著者は同カレッジ卒業後、ゴードン神学院、ハーバード大学、さらに牧会の現場に立ちつつ上智大学でネメシェギ神父に師事し、また母校をはじめいくつかの学校で教鞭をとられたが、その神学的営みの原点はあくまでも日本クリスチャン・カレッジにある。著者にとっての同カレッジは、内村鑑三にとってのアマスト・カレッジなのである。所収の「教育者としての内村鑑三」を読めば、著者の内村に対する並々ならぬ関心の深さを知るとともに、これが弱冠二十歳の神学生のレポートだったのかと驚異を覚えるであろう。

 そして第三部は数編の「神学エッセイ」である。実は、筆者にとっては、これら折に触れて記された手紙や随想がもっとも魅力的であった。数年前、「神学」という語を無意味なものの代名詞として使った首相がいたが、もし読者がこれらのエッセイのうち、たとえ一編でも味わうならば、聖書が、そして聖書に根ざす神学というものが、どれほど真実に、豊かに、そして深く人を生かすものであるかということを知って胸打たれるにちがいない。(出版元は株式会社ヨベル)