苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

顔で決めるな その3

 昨日、妖怪人間ベム・ベラ・ベロのことを書いた。彼らは人間の敵どもと命をはって戦っているのに、助けられた人間は、ベムたちに感謝するどころか、その恐ろしい姿ゆえに、彼らを排斥する。そして、挙句の果てベムたちは警察に追われる身となって家ごと焼き殺されてしまうのだ。
 躊躇があって、昨日は書かなかったのだが、また、読者には誤解してつまずかないようにお願いしたいのだが、筆者はイザヤ書52章末から53章の苦難のしもべの断章を思い出してしまった。抜粋してみよう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
52:14多くの人が彼に驚いたように――
彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、
その姿は人の子と異なっていたからである――
52:15彼は多くの国民を驚かす。
王たちは彼のゆえに口をつむぐ。
それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、
まだ聞かなかったことを悟るからだ。
53:1だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕は、だれにあらわれたか。
53:2彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。
53:3彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。(口語訳聖書)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 福音書には、イエス様の容姿については、背が高かったとか、低かったとか、ひげがあったとか、無かったとか、面長だったとか、丸顔だったとか、太っていたとかやせていたとか、何も書かれていない。イエス様の容姿について、特に、十字架を間近にしていたときのお姿についてのヒントはここイザヤ書の苦難のしもべの預言だけである。

*3日ほど、ブログをお休みします。読者のみなさま、暑いでしょうが、ご健康が守られますように。

   ニホンフヨウ(日本芙蓉)
 

   アメリカフヨウ