苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

旧約のイエス その2  アブラハムが出会ったイエス

「『あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。』そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。『あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。』イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。』」(ヨハネ8:56-58)

 ユダヤ人たちは、イエスがまるでつい昨日にでもアブラハムに会って来たような話し振りをするものだから、あざけって言った。「おいおい、あんたはまだ五十歳にもなっていないのに、アブラハムを見たとでもいうのか?」ここでは関係ないことだが、イエスは当時30歳ちょっとだったのに(ルカ3:23)、「50歳にもならないのに・・・」と言われたところを見ると、どうやら相当老け顔でいらしたらしい。それはさておき、アブラハムという人物は紀元前2000年の人である。
 すると、なんとイエスは言い返した。「まことに、まことにあなたがたに告げます。」これはイエスが特別大事なことをおっしゃるときに用いる言い回し。「耳をかっぽじってよく聞けよ」という意味。「アブラハムが生まれる前から、わたしはいる。」紀元前2000年より前からいると言われたのである。つまり、イエスはご自分がとーっても長生きだとおっしゃったのである。だからアブラハムのことはよく知っている、と。
 創世記13章末尾から25章にかけてのアブラハムの生涯において、彼に親しく臨んで啓示をお与えになった方は、「」また「の使い」と呼ばれている。

 イエス復活の日、エマオ途上で弟子たちに「モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた」(ルカ24:27)。そのとき、「あのかげろうが上る日、マムレの樫の木にいたアブラハムを御使いふたりと一緒に訪ねたのはこのわたしなんだよ。」とでも話されたのだろうか。

      シロツメクサ