苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

古代教会史ノート9 異端の出現

「 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。」1ヨハネ4:1−3


 ヘレニズム世界に福音が広がっていくとき、ヘレニスティックな宗教観からキリストを解釈した異端が出現した。ここに聖書正典と信条の確定が要請されることになる。

1.グノーシス主義的キリスト論・・・・キリストの史実性を否定・いろんなタイプがある。
  ベッテンソン『キリスト教文書資料集』pp68-71参照。
a.ドケティズム・キリスト論:キリストはあくまでも霊であり、物質(肉体)は悪なので、受肉はありえない。キリストの人としての出現は仮現的。・・・ギリシャ的霊肉二元論による解釈。
b.ケリントスのキリスト論:キリスト霊は人間イエスの肉体に一時に宿ったにすぎない。善である霊は悪である苦しみを受けることはありえないので、受難の前にキリスト霊はイエスを離れた。・・・異教の憑依現象による解釈。
c.聖霊キリスト論:キリストははじめ霊なる父と一つだったが、イエスにおいて肉体をとってこの世に来られ、十字架において肉体を取り去って再びキリストとして昇天した。
d.養子的キリスト論:人間イエスがその模範的行為のゆえに神の子に採用され、知識をもたらした。

*信仰の客観的根拠となる聖書正典・信条が確定していないので、従来からあるヘレニズムの異教的な宗教観・世界観から、さまざまにキリストの出来事を解釈したものが出てきた。ケリントスのキリスト論など、現代日本の新新宗教に見る憑依現象とまるで同じ。また、急速にクリスチャンが増加している中国の教会で最大の悩みが道教的なさまざまな異端の出現であるのと同じ現象。また今日世界中に流行するニューエイジ・ムーブメントはグノーシス主義の復興である。

2.マルキオン主義 2C  ベッテンソンp71

 マルキオンは黒海沿岸ポント州シノペの裕福な船主だった。司教である父に破門され、140年頃ローマに上り、自説をうけ入られるように運動するが、144年に異端として排され、自分で教会を作ってしまい、その新教会は急速に広がる。10世紀頃までマルキオン主義の痕跡が見える。
 善悪二元論反ユダヤ主義反物質主義の構造がグノーシス主義に類似しているのでグノーシス主義の一種であるという見方がなされてきたが、今日では教会形成をした点において別のものとされる。グノーシス主義は基本的には個人的な悟りのための営みであるが、マルキオン主義は教会を形成した。マルキオンは黒海沿岸のシノペの司教を父に持つ。マルキオン主義は数世紀にわたって正統的な教会に対抗しつづける。
 マルキオンの教えの概略は次の通り。<この物質世界を創造したのは悪か無知なヤーウェである。イエスの父なる神は旧約のヤーウェとは別である。ヤーウェはきまぐれな義なる神にすぎない。キリストの父なる神は、愛の神であり、ヤハウェをはるかに超える神である。この神は復讐の神ではなく愛の神であり、私たちに何をも要求せず、むしろすべて無償で与えるお方である。イエスはマリアから生まれたのではない。もしそうなら悪である肉体を彼女から享けたことになる。イエスは皇帝ティベリウスの治世に突然成人した姿で出現した。神であるから、終末の審判もありえないことである。>
 マルキオンは旧約聖書を否定した。新約正典の結集を試みたのは140年頃のマルキオンが最初である。マルキオンは旧約聖書の創造主なる神と、キリストにあって啓示された父なる神を区別した。神学的反ユダヤ主義である。そこで彼は、ユダヤ臭の少ないルカ福音書からユダヤ的部分を削除したものと、パウロ書簡から三つの牧会書簡を除いたもののみOKとし、これらに含まれる旧約聖書の引用を排除した。これは、意図的な教会の正統路線からの逸脱だった。正典の確定という作業は、マルキオン主義が最初に行った。

*信仰の客観的根拠としての正典の確定とその解釈の根幹を示す信条が重要であることを知る。旧約聖書を受け入れるか受け入れないかによって、異端と正統が分かれたことに注意すべきである。一見、旧約聖書を受け入れず新約聖書だけのほうが簡単に思われるかもしれないが、キリストご自身や使徒はこれを受け入れたのである。

3.モンタノス主義―――聖霊主義運動・再臨運動
   ベッテンソンpp125−126

 157年頃、小アジアのフルギアでモンタノス(−170)によって始められた運動。聖霊が教会に急速にそそがれることを待望して、その最初の顕現をかれが見たという。モンタノスと女預言者プリスカとマクシミラとともに熱狂的。天のエルサレムがフルギアのペプザに下り、世界の終末が来ると預言した。
 この運動はアフリカに移って禁欲主義化し、再婚、迫害されたときの逃亡を禁止、断食を勧めた。テルトゥリアヌスまでこれに加わって急速に拡大。ローマ、ガリア一帯にひろがったが、モンタノスと女預言者が市に、世界の終末も到来しないので衰退した。
 ハルナックは、「モンタノス運動は教会の組織化、世俗化をとどめ最初の状態に戻そうとする熱意の表れであると理解する。」 しかし、この運動はキリスト教史に絶えず現れる黙示主義的グループのごく初期の一例として理解するのがもっとも適切であろう(キリスト教大事典)。

聖霊主義運動の一つである。熱心はよいのだが、そして奇跡や超自然的癒しまでは、よしとしても、問題は聖書の啓示を超えた啓示を受けたと主張し始めたならば、それはいずれ異端になってしまうという教訓を学んでおくべきである。