苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

高原野菜










 高原野菜ということばを教わったのは、たぶん中学1年生の地理の時間だったろうか。夏場の平地との温度差を利用して、高原で野菜を作り都市住民の用に供しているという話だった。今、私が暮らしているのは日本有数の高原野菜の産地である。
 戦前、川上村は大根や豆をつくり、まずいけれどもかろうじて米も自給していたそうである。南牧村野辺山高原は、寒すぎて農業不適地であったから、米を作ることはできず、古来、鹿を獲る猟場であった。食糧増産をめざす国策によって戦前に開拓が始まったが、機械力があるわけではない。人力と牛馬の力で木を切り、岩を出す作業をして農地をつくり、ダイコンなどをつくるようになった。しかし軍はそのたいせつな農地を飛行場とするために取り上げたそうである。戦後、大陸の農地を失った食糧難の時代、野辺山にさらに開拓民がはいる。氷点下二十度だというのに戸を立てることさえできず、最初の年はムシロ戸であったと先年亡くなった一世開拓民に聞かされた。大阪からなにも知らずに嫁に来られたという奥さんは、ここで作れた野菜といえば、大根くらいのもので、石ころをかきわけて種を蒔いたものだとおっしゃっていた。
 ところが、GHQの置き土産としてのサラダ文化で、このあたりの生活は一変することになる。「アメリカの兵隊さんたちは、暑い夏にレタスとかいう生の菜っ葉が食べたいそうだ。夏場、東京に出荷するレタスをつくれる高原はないか。」こうして、この海抜千メートル超の高原地帯で「高原野菜」が作られ始まった。肉を食べる機会が多くなるにつれてサラダ食は、日本国民にさらに浸透していく。南佐久は高原野菜の一大産地となった。現在、このあたりで出荷されるのは、レタス、サニーレタス、白菜、キャベツ、グリーンボール、グリーンリーフ、広島菜、野沢菜といったところ。レタス、サニーレタスがキク科であるほかは、みなアブラナ科である。
 6月から10月はその最繁忙期である。うちの息子はクリスチャン農家に住み込みで一日中、妻は午前中通いで、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ夏ノ暑サニモ負ケズの、出荷作業が続いている。
「神は仰せられた。『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。』」創世記1:29,30
「神であるは人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」創世記2:15

 
   八ヶ岳山麓のレタス畑