親しくさせていただいている野沢福音教会の小寺牧師と三度目の新改訳本文の検討をした。今回、小寺牧師が取り上げたのは、ピリピ書1章1節である。
ピリピ書1章1節は「 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。」と訳されている。だが、「監督」と訳されていることばエピスコポスは複数形なので、「監督たち」としたほうが適切だと思われる。口語訳と新共同訳は「監督たちと執事たちへ」と訳している。新改訳は、もしかすると、「監督と執事たち」という表現で、「たち」ということばを監督と執事の両方に掛かるものとして読んで欲しいと思ったのかもしれない。「<監督と執事>たち」というふうに。だが、それは無理というものだろう。
あとでこの個所をもう一度考えてみた。一見すると、どちらでもよいような、細かいことのようであるが、この個所における監督が単数か複数かというのは、教会観にかかわる重要なことである。<監督と執事たち>というと、ピリピ教会には一人の監督と複数の執事たちがいたというイメージを読者に抱かせることになる。さらにひとりの監督が執事たちの上に君臨しつつ、教会全体を治めていたというイメージにつながるかもしれない。だが、<監督たちと執事たち>というと、ピリピでは複数の監督たちによる共同牧会が行なわれていて、執事たちもその指導のもとに奉仕していたというイメージを読者に抱かせることになる。この両者は相当のちがいがある。そして、後者のイメージが正確なイメージであるわけである。
そもそもこの時代、「ピリピ教会」と言っても、数百名が毎主日、一堂に会して礼拝をささげるということがなされていたわけではない。そういう大集会を開くことのできる礼拝堂は、ずっと後の時代にならないと出現しない。当時の教会では、信者のうちで大きな家に住んでいる者が、自宅を必要に応じて提供して集会を開くということがなされた。だから、ピリピという町の西の集会、東の集会、南の集会、北の集会・・・それぞれに監督がいた。だから監督は複数だった。そうではあったけれど、ピリピの町全体のなかのいくつもの教会が全体としてもひとつの教会であるという意識であった。むかし、宮村武夫先生がおっしゃった表現で言えば、当時のピリピ教会は現代の日本の教会用語でいうならば、ピリピ教団であった。コリント教会はコリント教団であった。
「監督たちと執事たちへ」という翻訳に直すならば、当時の教会について、正確なイメージを読者に描かせることができるだろう。そして、それは今日の教会のありかたについても有益な示唆を与えるだろう。こんな発見が、いつも励まし合い、ハゲ増し合っている近所の牧師との交わりの中で与えられたことも意味のあることである。