苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

エジプト展→動物園→松代大本営 遠足

 5月3日は教会の兄弟姉妹20名でバス遠足に出かけた。バスの運転は行きも帰りも博彦さん。マイクロバスかと思ったら本格的なバスでまずびっくりした。長野インターまではバスは快適に走った。車中では、中学生が用意したビンゴゲームをした。テーマは「動物園の動物と花」。
長野市内の渋滞を経て吉村作治のエジプト展に入った。古代エジプト人のミイラの棺桶が展示の目玉であるが、それに因んで死生観とミイラの作り方と調度品も70点ほど展示されていた。ミイラを作るための脳みそ掻き出しへらとか、手術台とかいろいろなものがあった。
 バーとカーとアクの話が興味深かった。古代エジプトでは人間の三分説が取られていたようで、バー(霊魂1)と、カー(霊魂2)とアク(肉体)から成る。人が死ぬと、バーはアクからすぐに離れて冥界へ行ってしまう。カーはちょっと説明しにくいがこの世のそこにその人がいるということを示す霊魂2でアクのうちに留まる。しかし、アクが腐ってバラバラになると、カーも行き場を失ってしまう。そこでエジプト人はミイラを作ってアクを保存することで、カーを留めようとした。そうすればいずれ、バーも戻ってきて再生することができる。一応こんなふうなことだそうである。「一応」と言ったのは学者によって解釈はさまざまだからである。
 ところでバーとカーとアクというのが、馬鹿と悪に聞こえて、子どもたちと冗談を言いながら見ていたら、30歳すぎの男性に「ここは美術館なんですから親子でしゃべっていないで静かに見ましょうよ」と叱られてしまった。反省。息子は「おとうさんが注意されるの、初めて見た」と、よほど印象に残り、うれしかったらしい。すみません。ちなみに吉村先生は「カー(母)さんこの世、バー(婆)さんあの世」と覚えなさいと教えるそうである。発掘者もそう言っているんだから、笑っていいんじゃないのか、とつい思ってしまう。反省不足。

  展示の終りのほうで、吉村作治氏がこの道に打ち込んできて、ついに史上初、夫婦のミイラ、親子のミイラを発見したその特集番組も上映されていた。吉村氏の目に涙がにじむのが印象的だった。

そのあと、動物園へ。屋外は小海方面が今朝は6−7度なのに、25度を超える夏日となった。木陰でお弁当を食べて、アシカ、ペンギン、リス、クジャク、モルモット、ニホンザル、いろいろのサルを見たそうである。「そうである」というのは、くたびれたおじさんたちはバスに戻って一休みしていたから。


 帰り道に訪れたのは松代。松代の町はきれいな水路があって錦鯉が泳いでいた。鯉がパクパク餌をくれというので、H姉がタンポポの花を投げてやっていたら、通りかかったおじさんに叱られた。これも子どもたちはうれしかったようだ。今日は、大人が叱られる日。
 大本営象山壕。前回二度目の訪問は韓国人神学生といっしょだったことで、胸痛む思いをした。三度目の今回は多人数で出かけたことで、地元のガイドのおじさんがついてくださったので、時間は短かったが今まで二度の松代訪問よりも知識の面では学ぶことが多かった。ヘルメットをかぶって地下壕にはいると、外の夏日が嘘のように涼しく、やがて寒くなってセーターを着た。入り口から二十メートルほどは頭が天井にぶつかりそうで、かがんで歩く。やがて幅も高さも広くなった場所四箇所でガイドは立ち止まって、解説をしてくださった。以下、その概略。
 1943年、戦局が厳しくなって、大本営は本土決戦に備えるため、信州松代に巨大地下壕を建設の計画を開始し、1944年11月11日午前11時最初の発破がかけられて、松代大本営地下壕の工事が始まった。工事は1945年8月15日まで続いて中止されるが、その時点でトンネルの延長は実に全計画の75パーセント当る10キロメートルに達していた。わずか9ヶ月に驚異的なスピードであった。

 工事に用いられた労働者は、スタート時、朝鮮人7000人、日本人3000人で、最初の8時間三交代はまもなく12時間二交代の徹夜での突貫工事となる。延べ労働者は300万人。工事にあたっては削岩機のロッド打ち込みとダイナマイト設置という最も危険な作業は朝鮮人がさせられたという。飯場の食事はコーリャンでおかずは無く、塩をふって食べ、この寒い信州で布団は稲わらの布団である。劣悪な生活環境、危険な発破作業、落盤事故、栄養失調、過労で特に朝鮮人労働者から多くの犠牲者が出たが、彼らの遺体が葬られた場所は今もわからない。敗戦後、多くの役所がそうしたと聞くが、GHQに摘発されることを恐れて証拠書類が燃やされてしまったからである。
 朝鮮人が多く用いられたのは、日本人男子はほとんど戦地に派兵されてしまっていたからである。朝鮮人労働者は、最初は募集に対して自発的に応じた人々、次の段階は朝鮮半島の地方役所が召集した人々、第三段階は強制徴用された人々である。強制徴用とは要するに人さらいであって、捕らえられてトラックに載せられ、船で富山港に入って松代に連れて来られたのである。
 ガイドさんは一つの質問をした。「沖縄戦があれほどの被害を出したのは、松代大本営建築とどのように関係していると思うか?」というのである。答えは、本土決戦の準備ができるまで、米軍を沖縄になんとしても足止めさせよというのが大本営の計画であったからである。松代大本営が完成しなければ、本土決戦ができないということだった。
 ガイドさんはもう一つ問を出された。「広島、長崎に原爆を投下された日本側の理由はなにか?」というのである。こちらは自分で調べて考えてくださいという宿題であった。

*地下壕の写真は「鹿島槍ヶ岳からの便り」より。カメラはバッテリー切れでした。