苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

家庭は教会のように

使徒:1−33
2010年4月25日小海主日礼拝

 使徒の働き10章と11章は、ローマの百人隊長コルネリオに関する記事が記されています。これほどの頁数を割いていることにまず驚きます。分量だけでことがらの重要さが決まるわけではないものの、ルカは相当の力を入れてこの百人隊長に関する記事をしるしているのは事実です。それは、この百人隊長コルネリオにまつわる出来事が、異邦人の回心と聖霊の注ぎという宣教の歴史のなかで画期的な出来事であったからです。

1 コルネリオに対する啓示(カイザリヤ)

 場所はカイザリヤつまり「ローマ皇帝カイザルの町」ですから、駐留ローマ兵もたくさんいる町でした。コルネリオはイタリア隊の百人の兵士を束ねる隊長でした(10:1)。彼は「敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしてい」ました(2節)。「敬虔な人」というのは、当時、旧約聖書に啓示された天地万物の創造主であるお方だけが神であるということを信じて生活するようになっていた異邦人のことです。割礼こそ受けていないけれど、旧約聖書に啓示された神を信じていたのです。ローマ人として彼は先祖以来のジュピターやヴィナスといった神々を信じる多神教の世界に生きていました。しかし、おそらくイタリヤからこの地に赴任したときから、コルネリオは旧約聖書の教えを聞いて、たしかに天地万物の創造主がいらっしゃるならば、そのお方をこそ礼拝すべきであると回心をしたのでした。
 しかも、コルネリオは真の神に対する信仰を自分ひとりのうちに留めておくのではなく、「全家族とともに神をおそれかしこんでい」ました。コルネリオの家族にたいする感化はすばらしいものでした。なぜ、コルネリオの信仰生活にはそれほどに感化力があったのでしょう。それは、彼がユダヤの人々に「多くの施しをし」、「いつも神に祈っていた」とあるように、彼の神への愛と隣人愛の実践とが、あいまっていたからです。目に見えない神を愛するといいながら、目に見える兄弟を愛さないということはありえないことです。神を愛することと、兄弟姉妹を愛することとの間には比例関係があるのです。そういうコルネリオの生きたかたに、彼の家族も友人もしもべも部下たちも感化を受けたのでした。
 さて、このコルネリオが午後三時に祈っていました。当時のユダヤ人の習慣では、午前9時、正午、午後3時に祈りました。祈っておりますと、幻のなかに神の使いが出現して、彼に啓示を授けました(3節)。御使いは、彼の名を呼びました「コルネリオ」。彼が「主よ。何でしょうか」と答えると、御使いは応えました。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」コルネリオが日々ささげる祈りと、機会があるごとに行なう施しは神の前に覚えられていたのです。
 御使いは続いて言います。
「さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。」(5,6節)
 御使の出現だけで驚くべきことですが、そのことばにコルネリオはさらに驚いたでしょう。というのは、当時、ユダヤ人たちは異邦人と交際しなかったからです。家に招いてもいったいペテロは来てくれるでしょうか。けれども、御使いが命じたことですから、コルネリオは従いました。そして、「そのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ、全部のことを説明してから、彼らをヨッパへ遣わした。」(7,8節)しもべたち、部下たちも敬虔な人となっていたことがうかがえます。

*本日、まず第一に学んでおきたいのは百人隊長コルネリオの信仰と隣人愛についてです。コルネリオは、家庭の中だけでなく、職場でも自らの信仰を明確にしていました。その愛に満ちた誠実な首尾一貫した生き方の成果でしょう。コルネリオの周囲の人々は、次々にまことの神に立ち返っていたのでした。

2 ペテロに対する啓示と使者の訪問(ヨッパ)

 さて、カイザリヤを出たコルネリオの使者たちが旅を続けて、翌日ペテロのいる町ヨッパに近づいたころ、ペテロは正午の祈りのために屋上に上りました。でも正午ですから、おなかがぺこぺこでした。ペテロは祈り始めたのですが、お祈りしていると眠くなってきました。そして、見た夢が食べ物の夢です。ペテロというのは、なんとも愛すべき人物です。
「見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。」(12節)というのです。大きな敷布のようなという表現が素朴で、ペテロの証言そのものという感じです。その敷布の中には、ブタ、馬、ロバ、犬、ライオン、蛇、トカゲ、烏、はげたかなどがいたのです。旧約の儀式律法のなかには、食物の規程があって、四足ではひづめが割れていて、かつ反芻するものは食べて良いとされました。だから牛、やぎ、羊などはいいのですが、ブタ、馬、ロバ、犬、ライオンなどはだめでした。鳥では死肉をあさる性質があるカラスやはげたかはだめでした。
そころが、主の声が聞こえました。13節「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」
ペテロは応えます。14節「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」 すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」(14節から15節)
 主の声と、ペテロは押し問答をする事三回、ついに、その敷布はすぐ天に引き上げられたのでした。
 
 さて、ペテロがこんな幻を見て、不思議だなあ、どういう意味だろうと思っていると、そこにコルネリオからの使者がやってきて、ここにシモン・ペテロは泊まっているかと質問をしたのです(17、18節)。
 それと同時に、イエスの御霊はペテロのうちに語り掛けました。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。10:20 さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」(19-20節)
ようやくペテロに今はっきりとわかりました。祭儀律法で禁じられていた異邦人たちの食べ物は、もはや新約の時代になって、解禁されたということです。キリストにあって祭儀律法はすべて成就してしまったので、食べ物にかんする律法の役割も終わったのです。それまでユダヤ人たちはその禁のゆえに、異邦人とは食事をいっしょにできませんでしたが、今、律法が禁じていたものが食べて良くなったということは、これからはユダヤ人は異邦人とも交流することができる時代が訪れたのだということを意味しています。
そこで、ペテロは、コルネリオの使者のところに降りて行って、彼らから事情を聞いてみます。すると、彼らは言うのです。「百人隊長コルネリオという正しい人で、神を恐れかしこみ、ユダヤの全国民に評判の良い人が、あなたを自分の家にお招きして、あなたからお話を聞くように、聖なる御使いによって示されました。」
 ペテロはこれは主から出たことであると納得しました。コルネリオなる人物が受けた啓示は、自分がさっき受けた啓示と関係していることがわかったのです。ユダヤ人が異邦人を自宅に泊めるなどということはありえないことでしたが、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。
 つくづく「使徒の働き」は、むしろ「聖霊の働き」と呼ばれるべきですね。世界に福音を広げていったのは、聖霊つまり主イエスの御霊ご自身でした。用いられたのは使徒ペテロやパウロたち人間です。しかし、パウロが工夫して世界宣教をしたのでもなければ、ペテロが旧来のユダヤ人と異邦人の垣根を取り払ったのでもありません。主イエスの御霊が導かれるままに、彼らは驚きながら行動していったのでした。福音書の中で主イエスの後に弟子たちがついていったのと全く同じです。
 こうしてみると教会の歩みにおいてはなによりも、主の御霊に聞くことがたいせつなのだということをつくづく教えられます。ペテロもパウロも自分の今までの常識を超える主の導きに、従っていったのでした。非常識が信仰的であるというのではありません。ただ固定観念や慣習にしばられて、主の働きを妨げてはならないと言っているのです。なにか新しいチャレンジがあったときには、私たちはそんなことは私たちの教会の習慣ではないから・・・ということで闇雲に否定してしまうのではなく、新しい気持ちで、「では聖書はなんと教えているのだろう?」と読み直す柔軟性が大事です。プロテスタント教会は、常に神のことばによって改革されねばならないのです。

3 ペテロとコルネリオの出会い

 さて、明くる日、ペテロは、使者たちといっしょに出かけ、ヨッパの兄弟たちも数人同行しました。そして、翌日、彼らはカイザリヤに到着しました(23,24節)。すると、「コルネリオは、親族や親しい友人たちを呼び集め、彼らを待っていた」(24節)のです。みことばを携えたペテロの訪問を、コルネリオは一人待つのではなく、親族、友人たちを集めて待っていた。こんな素晴らしい報せを独り占めしては、神様に申し訳ないという気持ちの現われです。
さて、ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝みます。するとペテロは偶像崇拝の危険を感じて、彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です」と言います。イエス様は神様ですから拝まれて拒むことはありませんでしたが、ペテロは自分はただの人間であると、人間宣言をしました。そうして、集った多くの人々に対して、自分がヨッパにいたときに与えられたキリストからの啓示について話して、主はユダヤ人と異邦人との間にあった壁を撃ち壊されたのだということを話したのです(28節、29節)。そうすると、コルネリオの側も、4日前御使いが彼に啓示したことを話しました。そして、言いました。「いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」(33節)
 多くの親戚、使用人、友人たちを屋敷に集めてただ、めずらしいペテロの話を聞きましょうといっていたのではありません。「みな神の御前に出ております」とあるように、祈りをもって敬虔な態度で使徒ペテロを待っていたのでした。神は、使徒ペテロを通じて、何を私たちに語ろうとなさっているのだろうかという心の準備をして、みなが集っていたのです。実にみごとな態度でした。このカイザリヤのコルネリオの家庭集会が、後のカイザリヤ教会の土台となっていくのです。

結び 三浦綾子さんは光世さんと結婚したとき、ひとつの願いを持ちました。それは、我が家が教会のようであるようにという願いでした。「教会は家庭的であるのがいい」と言われることは多いでしょうが、家庭が教会的であるようにとはあまり言わないかもしれません。でも綾子さんは、自分の家庭で真の神があがめられ、家庭で神のことばが分かち合われ、家庭を通してイエス様の福音が証しされるようにと願ったのです。百人隊長コルネリオの記事を読んで、ああまさにコルネリオの家庭は、教会のような家庭だなあと思いました。
新たに家庭を建設しようとする方たちは、コルネリオのような、三浦家のような教会のような家庭が建設できるよういのりましょう。 家族のなかで私一人クリスチャンですという方たちは、自分の家庭で神が賛美され、神にあってみなが一致するそういう日がくることをまぶたの裏に思い描きましょう。その日を信じて歩みましょう。