苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

天変地異と歴史の画期

 2月頃、もう春かと思わせるような日が数日あったが、冬が舞い戻り、3月に雪がどっさり降ったのはまあ予想通りだった。しかし、この4月半ばすぎてからのドカ雪には驚いた。ドカ雪の後、おとといは初夏の陽気となったが、きのうから冬に逆戻りしてしまった。異常気象ということばは、このところ毎年あまりに聞き慣れてしまって、何が正常だかよく分からないほどである。

 歴史の分野で、異常気象・天変地異と歴史との関係をあつかう学者たちが現われている。古代ローマ帝国はなぜ滅亡したのかという問いは歴史学者たちにとって魅力的な問いであって、多くの学者たちが自説を開陳している。ローマが巨大化しすぎたこと、質実剛健の気風が失われ道徳的に腐敗したこと、凶作に困り果て貨幣の成分を低下させインフレをまねいたこと、ゲルマン民族が侵入したことなどが挙げられて来た。
 ローマ帝国が衰退した直接原因は二つあって、一つは、ゲルマン民族の侵入が頻繁になって国境警備のための軍事支出の増大したことであり、もう一つは、凶作によって税収が激減したことである。収入が減り、支出が増大して帝国の財政は破綻した。だが、ゲルマンの侵入と作物の不作の原因は一つであった。それは、ヨーロッパの気候の寒冷化である。帝国の栄えた紀元前300年から紀元後300年頃、ヨーロッパは温暖で地中海式気候の北限は今で言うスペイン、フランス、ドイツの北端のラインだった。ところが、紀元後500年ころにわかにヨーロッパは寒冷化して地中海式気候の北限は北アフリカのラインにまで下がってしまった。この気象の変化は地層に含まれる小麦の花粉の分布から明らかにされている。
 寒冷化は凶作を招いて帝国の財政は厳しくなった。また寒冷化によって農業ができなくなったゲルマン民族は農業適地を求めて、ローマの北国境線ドナウ川を越えて頻繁に南下するようになった。そのため、帝国の軍事費は増大し、それでなくても苦しい帝国財政は破綻することになる。

 日本でも、時代が根本的に変化してしまうようなときには、天変地異が起こっている。明治維新のとき、なぜ他藩を圧倒する武力・財力をもった江戸幕府が脆くも倒れてしまったのか?高校の歴史の勉強ではほとんど教えてもらった記憶がないけれど、幕末に安政の大地震が日本列島を揺るがしたことが一番大きな原因であったのではないかと筆者は思っている。黒船来航は1853年だが、その翌年安政元年11月4日から7日、M8規模の巨大地震が東海地方から四国・九州までを襲った。巨大な津波が沿岸部を襲い、内陸部は山崩れが各地で起こった。特に津波に襲われた沿岸部は、町ごと村ごと全滅した地域が多いため、一体幾万の人命が失われたか、被害の規模がはっきりしない。
安政元年11月4日 M8.4 震源=遠州灘沖(愛知・静岡の南)『安政東海大地震
安政元年11月5日 M8.4 震源=潮岬沖 (和歌山・徳島の南)『安政南海大地震
安政元年11月7日 M7.4 震源=豊予海峡(大分と愛媛の間)
 そして、翌安政2年(1855年)、10月2日(西暦11月11日)安政の大地震が江戸を破壊し、大火災が発生して死者4千とも7千とも1万とも10万ともいって、よくわからない。しかも、その余震は9年間も続いたという。幕府経済は破綻し、不安にさいなまれる人心は幕府を離れ、世直しが叫ばれることになる。こういう方面から歴史を研究する人がいてほしいものだと思う。

 地球温暖化が原因と思われるこのところの異常気象、そして、近々日本列島を襲う巨大地震は、日本と世界の歴史に画期をもたらすのかもしれない。
「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ福音書24:35)