苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

取調べ可視化法案に賛成

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 3月18日の午後6時18分、夜の取調べが始まってすぐ、神垣賢治が突然取調室を出て行った。20分ほどして、取調室のドアが勢いよく開け、再び中に入ってくると、バタン!と大きな音を立ててドアを閉めた。私はただならぬ気配を感じた。
 検事はすぐに私のそばに寄ってきて、声を荒げて言った。
「おまえは嘘をついていた。真藤はさっき落ちた!真藤はお前から直接電話を受けたと話している!これまで俺に嘘をついていたな!俺にこんな態度をとったのはお前が初めてだ!」
 言うや否や、わたしの椅子を窓側の横から蹴り上げた。その勢いでキャスターが横にすべり、私は頭から反対側に転がり落ちかけたが、すばやく検事が反対側に周り私の身体を支えた。その身のこなしから、検事の動作は計算ずくだ、と思った。
 検事はたたみかけるように怒鳴った。
「立て!窓側に移れ!」
 取調室の窓側で、私は検事と向き合う形となった。
「俺に向かって土下座しろ!」
 検事は私に殴りかからんばかりの剣幕であった。恐怖心から抵抗できず、私は屈辱的な思いで床に座った。命じられるままに、検事に向かい手をつき、頭を下げた。そのような姿勢を続けているうちに、私は検事のマインドコントロール下に入っていった。
「お前は真藤に直接電話している。忘れているだけだ。思い出したか。・・・思い出したなら席に着くことを許す」
 私はこれまでずっと真実を述べていた。だが、恐怖心に捕らわれた私は、悲しいことに、小声で「分かりました」と答えた。
 すると、検事は事務官に口述をして次のような調書を作成した。
「私は、検事に土下座してお詫び申し上げます。いままで検事に対し、真藤さんに直接声をかけたことはない、村田さん個人にお譲りしたものであるなどと嘘を申し上げてきました」
 抵抗する気力を失い、私は言われるままに調書に署名した。私が署名を終えると、「よし、これでよい」と、検事は急いで取調室を出て行った。
 二時間ほどで戻ってきた検事は満足げな表情で言った。
「よし、調べは終りだ。下がってよい」
悪夢のような体験だった。房に戻されたが、房はいつもより寒々としていた。
(以上、江副浩正リクルート事件江副浩正の真実』(中央公論社)pp155-157から引用)
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 検察の取調のありさまの描写を読んでいて、筆者は憤ろしくなってしまった。だが著者の江副氏は「あとがきのあとがき」で「私としては、取調検事個人への恨めしい気持ちはまったくない。厳しい取調べは取調検事の職務意識から発したことと思っている。検事はいずれも職務を忠実に実行された人々であり、陰湿なところのない分かりやすい人たちであった。」と書いている。ふてぶてしい犯罪者の取調べのばあい、ある程度は手荒にせざるを得ないと江副氏は考えているのだろうか。それとも遠慮しているのだろうか。江副氏は続けて言う。「問題は、取調べが密室で行なわれていて、取調状況のすべてが可視化されず検察間調書に重きが置かれる現行の司法制度であると私は思っている。」と。
 日本の刑事事件の有罪率は世界一99.8パーセントだそうである。暴力をふるった証拠を残さず恐怖のみ与える手馴れた暴力による拷問と(壁に向かってぎりぎりのところに目を開けて立たせ続ける、土下座させる、椅子を蹴り上げる、ボールペンを瞳の近くまで近づける、定規で机を叩く)、ことばの暴力(罵倒・侮辱などパワー・ハラスメント)と詐術によるマインドコントロール。監禁された上で、こんな取調を何ヶ月にもわたってされたなら、たしかに99.8パーセントの人は無実でも、検事が作文した調書に署名をしてしまうだろう。密室における取調は、諸外国では珍しいという。なにも江副氏を担当した検事だけが、こういう取調をしているわけではない。類書でも、取調を受けた人たちは同じような経験をしたと証言している。元福島県知事佐藤栄佐久『知事抹殺』にも、検察の取調の実態が報告されている。
 芸術が美を求め、道徳が善を求めるように、司法は公正を求めるための機関であろう。ところが、密室取調という現状では、取調自体が犯罪である。司法が公正なものとなるために、検察や警察による取調の完全可視化を急ぐべきである。容疑者をたくみな暴力と詐術で洗脳あるいはマインド・コントロールして、検事の作文に署名をさせるようなことはすぐにもやめさせるために。その目的は、第一は冤罪防止のためである。第二は、検事や警官に職業のために神の前に罪を犯させないためである。検事や警官になるような人は、もともと正義感の強い人々であろう。そういう人々が検事や警官になったがために、職業としてこんな犯罪行為を毎日しなければならず、しかも、自分が正義の味方だと思っているとは、なんと悲惨で滑稽なことではないか。