苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

原発、なんとクリーンなエネルギー

 今朝のラジオで、四国電力伊方原発で強毒性のプルサーマル発電が臨界点に達したというニュースを聞いた。伊方原発は、四国の西北の端に向かい側の大分県に延びた尻尾のような佐田岬半島の上にある。伊方原発は、東北の女川原発、東海の浜岡原発と並んで三大危険原発とされている。想定される地震の最大の揺れに対して設計上の最大の揺れが倍であるからである。実際、新潟中越沖地震のとき、柏崎刈羽原発のばあい、想定した揺れの3.6倍の揺れが原発を襲った。
 こういうことをいうと、「原発反対なら電気を使うな」と乱暴なことをいう頭の沸騰した人がいるが、そういうかたはまず頭を冷やして本当に原発がなければ日本の電力供給がまにあわない実情なのか、よく調べられるとよい。まにあっているのになぜ原発建設が止まないのか、も。
 「二酸化炭素発生量が少ないから原発がクリーンなエネルギーだ」というキャンペーンに民主党政権も乗っかるつもりであるとも報道されている。本気で言っているのだろうか。まもなくこの列島は宮城地震相模湾地震東海地震東南海地震、南海地震に襲われることは確定している。その地震原発が壊れメルトダウンすれば、この列島は放射能でまみれてしまう。原発はなんとクリーンなエネルギーだろう。
 1986年4月26日午前1時23分チェルノブイリ原発は大爆発し、原発から300kmも離れた地域にまで高度汚染が広がってしまった。事故の概要については、今中哲二氏(京大)のレポートを参照されたい。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Henc.html 私のふるさとの神戸はあの震災から十数年がたって、みごとに復興した。むろん、心とからだに負った傷が癒えない方はなおいらっしゃるのだが。しかし、事故から四半世紀たった今もチェルノブイリ周辺地帯は文字通り廃墟である。原発は、なんとクリーンなエネルギーだろう。
 広大な国土があるウクライナ(当時ソ連)であったから住民は避難できたが、この狭い日本列島では逃げ場がない。近い将来、日本で原発が破綻したばあい、結局、私たちは放射能配合の水を毎日のみ、放射能配合土壌で作られた米や野菜を食べて生活せざるをえまい。そうして、今チェルノブイリで、また、米軍の劣化ウラン弾が大量に撃ち込まれたイラクがそうであるように、多くの人が白血病やガンに苦しみ、格別、子どもたちの甲状腺がんの大量発生に苦しみながら、この列島で暮らしていかねばならなくなるのだろう。ああ、原発はなんと絶望的にクリーンなエネルギーではないか。

 このところ、旧約聖書エレミヤ書と哀歌を通読してきて、今朝読み終えたところだった。あくまでも悔い改めないイスラエルの滅亡の出来事と、今朝のニュースが重ね合わさってしまった。哀歌はつぎのように結ばれている。
 「しかし、主よ。
 あなたはとこしえに御座に着き、
 あなたの御座は代々に続きます。
  なぜ、いつまでも、
 私たちを忘れておられるのですか。
 私たちを長い間、捨てられるのですか。
 主よ。あなたのみもとに帰らせてください。
 私たちは帰りたいのです。
 私たちの日を昔のように新しくしてください。
  それとも、
 あなたはほんとうに、私たちを退けられるのですか。
 きわみまで私たちを怒られるのですか。」エレミヤ哀歌5:19-22


原発震災について、祈り、行動すべきだと思った方は、下記サイト参照。一番下の映画「東京原発」映画抜粋を見ると、手際よく、原発問題についてプルサーマル発電についても紹介している。http://www.stop-hamaoka.com/

原発技師平井憲夫さんのhttp://genpatsu_shinsai.at.infoseek.co.jp/hirai/pageall.html


 小海の山にある水源地、五箇(ごか)