苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

殉教者の血は・・・

              使徒7:54−8:4
               2010年2月28日 小海主日礼拝
1.ステパノの殉教

「 あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」(7:52-53)
 場所はユダヤ最高議会サンヒドリン。被告席に立つのはエルサレム教会の執事ステパノです。ステパノは並み居る、高位聖職者、律法学者たちを前にして、このように宣告したのです。あなたがたは、昔、神の遣わした預言者たちを迫害した愚かな先祖たちと同じように、今度は神が遣わされた正しいお方、キリストを殺してしまったのです、悔い改めなさいという趣旨のことばです。
 これを聞いていたユダヤ最高議会の祭司・議員たちは怒りに燃え上がりました。彼らは、自分たちこそは、もっとも神を畏れる敬虔な者であり、この国の霊的指導者であると自負していたのです。そして、相当に自分たちは成功を収めていると考えていたのに、それを真っ向から否定されたからです。「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。」(7:54)
 けれども、ステパノは彼らの怒りと憎しみと殺意に満ちた形相を見ても、まったく恐れるところがありませんでした。ステパノは聖霊に満たされていたからです。彼が霊の眼をもって、天を見つめると、その目にはなんと神の栄光とその輝かしい神の右に、イエスが立っておられるのが見えたのです。 「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(7:55,56)
 ここを読むたび、私は胸打たれます。神の御子イエスは、父なる神の右に座しておられるはずです。私たちは使徒信条で、「全能の父なる神の右に座したまえり」と告白するのです。けれども、このとき御子イエスは、神の右に立ち上がっていらっしゃるではありませんか。神を愛する執事ステパノが、このような危機的な状況に置かれて、大胆に主イエスのために証言をし、殉教を覚悟しているのを見て、主イエスは立ち上がられたのです。そして、手を差し伸べられたのです。
 神さまは、こうしたご自分の栄光の有様、イエス様のお姿を、天に召されようとする人々に現わされることがあります。私が土浦めぐみ教会でお世話になった朝岡茂先生は、浜松の聖隷ホスピスに入院していらっしゃったのですが、最期の時、「イエス様が見える。イエス様万歳です。」とおっしゃって召されてゆかれました。
 しかし、悔い改めを迫るステパノのことばを聞かされた人々は、悔い改めるどころか彼らは怒りました。彼らにはステパノのことばが神を冒涜することばだと思えたので、耳をおおってステパノに殺到しました。(7:57)。このように読むと、まるで議員は熱狂してステパノをリンチにあわせたように見えますが、そうではありません。ステパノを捕らえた人々は、その場で彼を殺害したのではなく、石打の処刑場のある町の外まで連れて行きました。また、当時の処刑の規則にしたがって、証人たちは自分たちの着物を脱いだと書かれています(7:58)。
 ですから、ステパノを殺したことは、ユダヤ最高法院の公式の決定に基づくことだったのです。暴徒と化した人々が、熱狂してステパノを殺害したのではありません。ユダヤの最高法院が、公式に、キリストの福音を拒否し、キリストの福音をのべつたえた伝道者を処刑したのです。

 しかし、人々がステパノを穴に投げ落として、穴の上からステパノに向かって大きな石を投げつけているそのとき、ステパノは石に打たれながら、主イエスを呼びました。
「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。」(7:59,60)
 ステパノの死は、明らかに、主イエスの死に倣うものでした。ステパノはおそらく主イエスの十字架上での最期をその目で目撃し、その耳でおことばを聞いたのであろうと思います。イエスは「父よ。わが霊を御手に委ねます。」と祈り、また、「父よ。彼らをおゆるしください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです。」と祈られました。主イエスの弟子として、今ステパノは同じように祈って、主に自分のいのちを委ね、敵のためにとりなし祈ったのでした。
 今まさに自分を殺す敵のために心から祈るということ、これは人間の愛の力の限界をこえた祈りのように思えます。しかし、ステパノのうちにはキリストの御霊が満ちていましたから、キリストの御霊がこのような敵をも愛する愛をお与えになったのでした。「『敵のために祈りなさい。祝福しなさい。』と言われても、そんな祈りは私にはできません。」と言われる方がいらっしゃいます。お気持ちはわかります。けれども、祈りはそういう自分の限界を突き抜けるところにあるのです。キリストのいのちの御霊が、ステパノに与えられたのです。

2.殉教者の血は教会の種

 古代教父テルトゥリアーヌスのことばに、「殉教者の血は教会の種子である」ということばがあります。殉教者ステパノの血はたしかに、教会の種となりました。彼の死を神はむだにはなさらなかったのです。
(1)サウロ
 ステパノの血は、まず初代教会における最大の宣教師パウロを生み出すもとになったようです。ステパノが処刑されるありさまを、冷然と見つめているひとりの青年サウロがいました。「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。」(8:1)
 サウロとは、ご存知のように後のパウロのことです。サウロは当代随一の学者ガマリエル先生門下きっての秀才でした。彼は将来を嘱望されるパリサイ派律法学者のひとりだったのです。彼は、ガリラヤに始まったイエスの運動を前からいまいましく思っていたのですが、イエスがいなくなってキリスト教徒たちが静かになるかと思っていたら、イエスがいたとき以上に賑やかに伝道を始めたではありませんか。そして、最高法院でまでイエスがメシヤであることをいい広めたのです。サウロは当然怒りに燃え上がりました。
 ステパノが死ぬと、ユダヤ当局はエルサレム教会を激しく弾圧し始めました。そこで、使徒たちはエルサレムで地下教会を組織し、信徒は難をのがれてユダヤとサマリヤの諸地方に散らされていきました。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
 迫害の急先鋒は青年律法学者サウロでした。想像するに、サウロは目の前でステパノが殉教する姿を見て、非常な衝撃を受けたのです。自分を今まさに憎しみに燃えて殺そうとしている者たちのために、「この罪を彼らに負わせないでください」とゆるしを神に懇願するステパノの姿に、神の愛を見たのです。しかし、サウロはそれを打ち消しました。「そんなはずはない。自分こそ、神の道にしたがって懸命に生きてきたものではないか。自分は幼い日から律法の訓練を受けて、誰にも負けないほど生真面目に律法を守ってきたのではないか。どうして、パリサイ派の律法熱心を否定するイエスがメシヤでありえよう。」そうして、「サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」(8:3)というわけです。しかし、サウロのうちにステパノによって打ち込まれたキリストの愛の衝撃は、やがて、サウロを回心に導くことになるのです。彼がダマスコに向かうとき、主はサウロを回心に至らせます。そして、主イエスは彼を異邦人伝道のための宣教師としての任務をお与えになるのです。
 ステパノは、十字架の主イエスの愛に打たれ、そのいのちをいただきました。そして、サウロはステパノの愛の祈りに打たれ、ある意味、そのいのちを受けたということができましょう。伝道とは、いのちを与えることでした。

(2)宣教の拡大
 ステパノの殉教は、ユダヤ当局によるエルサレム教会弾圧を激しいものとし、キリスト者たちはエルサレムにもはや安心して暮らすことができなくなりました。そこで、彼らの多くは、危険なエルサレムをのがれて、ユダヤ地方、そしてサマリヤ地方へと散らされていきました。そうして、散らされた先において、それぞれがキリストの福音のことばを宣べ伝えていったのです。「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」(8:4)
 「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」というのは、主イエスが最後に残された大宣教命令でしたが、弟子たちはこれをすぐには実行に移しませんでした。彼らは急速にふえていくエルサレム教会の運営で手一杯のように思えました。一気に3000人、そして毎日加えられて5000人になってしまったのですから、たしかに常識的に考えるならば、さらに他の地域への宣教の拡大をする余力はないということであったというのも無理はないと思います。
しかし、そうした事情とともに、ユダヤ人である弟子たちにとっては、サマリヤ人や異邦人にキリストにある神の救いを伝えるということに、なお躊躇があったのだと思われます。当時、ユダヤ人たちは異邦人は犬であると言われていました。神の福音を受け入れることなどできないと考えられていたのです。聖なる物は犬に投げ与えてよいものだろうかという、不安があったのです。
 しかし、弾圧を受けて方々に散らされることによって、初代教会の数千人の信徒たちはまず、エルサレムから外に出て行かざるを得なくなります。ユダヤ地方そしてサマリヤ地方の町々村々へ、そして、外国にまで「みことばをのべながらめぐり歩いた」のです。イエス様は使徒たちに「エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とおっしゃいましたように、まず、エルサレム、そして第二段階としてユダヤとサマリヤ地方です。その第二段階にここで宣教が拡大したのです。

むすび
 「殉教者の血は教会の種である」ということばは事実でした。ステパノの血は、使徒パウロを生み出し、そうして、キリストの福音は地中海世界へ、アジアへ、アフリカへと広がっていき、いまや全世界に満ちています。
キリストがステパノに命を与えました。そしてステパノの命は、サウロ、後のパウロに伝わりました。伝道とはいのちを与えることなのですね。あなたが救われたことを考えてもそうです。いったい、あなたはどのようにして、キリストの愛を知ったのでしょう。キリストのいのちに触れたのでしょう。かげで多くの兄弟姉妹が祈ってくださったでしょう。そして、あなたに福音を身をもって伝えてくれた方がいたのではないですか。ならば、今度はあなたが、その命をもって、祝福をあなたの友に伝える番です。