苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

フランソニアン

 小海キリスト教会が属する日本同盟基督教団フレデリック・フランソン(1852-1908)が創始者であるTEAM宣教団(元北米スカンジナビア同盟宣教団)の宣教師たちによって生み出された。彼の母は折からスウェーデン国教会内に起こっていた敬虔主義運動の影響を受けた熱心なキリスト者であった。フランソンのConstant, Conscious, Communion with Christ(キリストとの絶えざる意識的なまじわり)という4つのCで表現される霊性は、おさない日から母の敬虔な信仰から受けたものであろう。
 1862年、米国に移民して後、フランソンは病の中で神の深いお取り扱いを受け、信仰の覚醒を経験し主の福音のために自分の生涯をささげつくすことを決心した。フランソンの信仰の特質は、主イエスが再び来られる日は近いという意識であった。自分の目がまだ青いうちに主が来ると信じるフランソンは、あの船と徒歩と馬の時代に6年間にわたる旅で全世界を伝道旅行した。彼は各地で「狂信者」呼ばわりされ投獄の憂き目にあったが、それにもめげずに伝道し続けた。
 フランソンの働きが多くの実を残したわけは、自らが伝道をするだけでなく、それと同時に、回心した人々をただちに極力多く福音未伝の地に派遣したからである。フランソンは、回心した人々に二者択一を要求した。すなわち、自らが宣教師となって宣教地に赴くか、もしくは、背後にあって宣教師の働きのために祈り献金をもって支えるか、と。
 宣教師志願者に対して、フランソンが問うたことは三つのシンプルな問いだった。
1つ、「あなたは確かにイエス・キリストによって救われているか?」
1つ、「あなたは人をキリストにある救いに導いたことがあるか?」
1つ、「あなたはキリストのために喜んで死ぬことができるか?」
 この三つの問いに対してイエスと答えることのできる者に、フランソンはほんのわずかな期間、聖書による集中的な訓練をほどこして、ただちに船に乗せて宣教地に送り出した。こうして、フランソンによって多くの宣教団が各地に誕生した。北米スカンジナビア同盟宣教団(TEAM)、スウェーデン同盟宣教団、スイス同盟宣教団、ノルウェー同盟宣教団、ドイツ同盟宣教団などなど。その宣教師たちは十分な学的訓練を受けていたわけではなかったので、先行して伝道地に来ていた他団体の宣教師たちからはフランソニアンとあだ名され軽蔑されたという。しかし、主イエスへの愛と宣教の情熱に燃えるフランソニアンたちは、他団体の宣教師たちが入っていかない危険な奥地、福音の未伝地へと果敢に入って行った。1891年11月、横浜港に上陸した北米スカンジナビア同盟宣教団の15名の宣教師たちは、飛騨高山、伊豆、千葉、北海道アイヌの地へと宣教して行った。
 多くの宣教師を送り出して誰よりも多くの実を残したにもかかわらず、フランソンの名は、リビングストン、ウィリアム・カーレー、ハドソン・テーラー、アドニラム・ジャドソンといった宣教師たちのようには有名でもなく、評価もされていない。フランソンの影響下に生まれた宣教団さえもフランソンをさほど評価していない。だが、そういうことも含めて伝道者である私はフランソニアンでありたいと思っている。