苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

天変地異を前にして―長明とダビデ

 鴨長明方丈記』に1185年の地震の記録がある。
「また元暦二年のころ、おほなゐ震ること侍りき。そのさまよのつねならず。山崩れて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土裂けて水わきあがり、巌割れて谷にまろび入り、なぎさこぐ舟は浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れたる間、塵灰立ちあがりて盛んなる煙のごとし。地の震るひ家の破るゝ音、雷にことならず。家の中に居ればたちまちにうちひしげなむとす。走り出づればまた地割れ裂く。羽なければ空へも上がるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。」
 旧約の詩聖ダビデもいくつか天変地異についての歌を残しているのだが、長明とはいささか趣を異にする。
「あなたは、深い水を衣のようにして、地をおおわれました。水は、山々の上にとどまっていました。水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。山は上がり、谷は沈みました。あなたが定めたその場所へと。あなたは境を定め、水がそれを越えないようにされました。水が再び地をおおうことのないようにされました。
主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ、野のすべての獣に飲ませられます。野ろばも渇きをいやします。そのかたわらには空の鳥が住み、枝の間でさえずっています。主はその高殿から山々に水を注ぎ、地はあなたのみわざの実によって満ち足りています。主は家畜のために草を、また、人に役立つ植物を生えさせられます。人が地から食物を得るために。」
 ダビデの、大海が地を被い、山々が上がり、谷が沈みこむありさまの描写はノアの大洪水を意味しているのだろう。その地球規模の天変地異は、日本列島を周期的に襲ってきた巨大地震程度のものではない。NASAのある科学者が、巨大隕石の衝突によって、地殻にひびがはいり、プレートの急速な移動が起こって、プレートとプレートが衝突したところは、海溝と巨大な山脈が形成されたという仮説を自信満々で解説していたが、もしかするとほんとうなのかもしれない。この説明を聞いたとき、頭の中に風船ようかんに爪楊枝でプチュッと穴を開けたらつるりと剥ける場面が思い浮かんだ。ただ難点は、地殻がゴムでできていないので羊羹のばあいのように、簡単にツルリとは行かないことである。
 http://www.concentric.net/~hnori/earth2.htm
 http://www.youtube.com/watch?v=SWQaTOj1H4A&feature=related


 それはともかく、ダビデの天変地異にかんする歌には鴨長明のような恐怖に満ちた陰惨な雰囲気はない。ダビデは天変地異の描写をもって、万物の創造者であり支配者である神の偉大さといつくしみとを高らかにのびのびと賛美している。今、我々、被造物である獣、小鳥、人間が、緑の大地を踏みしめ、そこから食べ物を得ることができるのは、万物の創造主が大地を支え、海がふたたび陸を被ってしまうことがないように守っていてくださるからなのだと感謝をもって、神を賛美するのである。私たちは、夜に床につき、朝を迎えることができることが、あたりまえだと思っているけれど、その日々の営みが万物の主であるお方の支えの中で許されているのだということを、ダビデは実感していた。