苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』

 日本国憲法の成立過程について正確に記述した本を探していたら、この本に出会った。大きな枠は12月15日に記したとおり<自由民権運動鈴木安蔵憲法研究会案)→GHQ→日本政府>でまちがいないのであるが、そのプロセスの中身をもっと詳しく史料に基づいて知りたいと思っていたら、ぴったりだった。ここにメモしておきたい。
 日本国憲法について筆者として特に気になっていたのは、鈴木安蔵が書いた憲法研究会の「憲法草案要綱」が、GHQに高く評価され、GHQ草案に影響を与えたいきさつはどういうことなのかということであった。提出された鈴木案が、GHQがもともと持っていた構想とぴったり一致したので、「ほほう」と思われった程度なのか、それともそれ以上に意義あるものとして評価され、むしろ憲法研究会案が日本国憲法の根幹を成したのか?
 憲法改正問題はGHQ民生局が担当した。そこにはマッカーサーが信頼するラウエル中佐がいた。ラウエルは、ハーバードとスタンフォードで法律を修め、その後弁護士、公的機関で法律専門家として実務経験のある人物だった。民生局は戦後日本の統治のため、日本近代史の碩学といってよいカナダ人外交官ハーバード・ノルマンを招いていた。ハーバード・ノルマンは、明治に信州で活動したカナダ人宣教師ダニエル・ノルマンの息子である。
 ノルマンは、ラウエルに対して、明治期前半の偉大な自由民権運動家として植木枝盛を紹介し、その植木枝盛の研究者として鈴木安蔵がいることを紹介した。ノルマンは、鈴木安蔵と親交があり、鈴木の書いた『現代憲政の諸問題』をラウエルに貸した。ラウエルは早速この書の巻頭論文「日本独特の立憲政治」を英訳させて読んで見て、植木枝盛の徹底した人権思想に驚いた。ラウエルは、自分が読むだけで満足せず、民生局のみなに回覧して読ませた。このようにして、GHQ民生局はウエキ・エダモリとスズキ・ヤスゾウという民権思想家の名をあらかじめ知ることとなった(GHQ翻訳部はエモリでなくエダモリと訳した)。
 憲法研究会「憲法草案要綱」は1945年12月26日に完成し、ただちに首相官邸とGHQに提出された。12月28日各紙はこれを第一面に全文掲載した。そのなかで毎日新聞は、鈴木安蔵が「憲法研究会案公表案は、私が書いた」と述べたことを報道した。ラウエルと民生局は、この毎日新聞の記事を見て、かねてから自由民権運動研究者として認識していた鈴木安蔵が、「憲法草案要綱」の起草者であることを知って、これは信頼できるものであると思った。実際、ラウエル文書のなかに毎日新聞の当該記事の英訳が含まれている。ラウエルは「幕僚長に対する覚書」で、憲法研究会案は「民主主義的で、賛成できるものである」と結論している。彼は、この憲法草案要綱は、近代日本における自由民権運動にねざすものであり、その代表的思想家植木枝盛たちを起源とし、その専門家鈴木安蔵によって起草されたものゆえ、民主主義的で信頼できるものだと評価したのであった。
 こんなわけで、憲法研究会案が日本国憲法の根幹を成すことになった。日本国憲法「前文 主権が国民に存することを宣言し」は、憲法研究会案「1、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」の言い換えである。また、憲法第1条「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」、憲法第3条「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」は、憲法研究会案「2、天皇ハ国政ヲ親(ミズカ)ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス」「3、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル」の言い換えであることは、誰の目にも明白である。
 なお、本書は前半には、GHQ側が近衛に提示した憲法改正に関する12か条のポイントには、議会権限の強化と天皇大権の縮小はあったが、「主権が国民に存する」という宣言がなかったことも史料に基づいて実証されている。GHQ民生局は、憲法研究会「憲法草案要綱」第一条に主権在民の宣言を見て、はじめて目が開かれて、英文草案に早速採用したのである。筆者にとって、これは驚きの事実だった。
 我々は長年、自民党政府やその御用学者や作家たちから、日本国憲法は米国から押し付けられた占領憲法だという宣伝をさんざん聞かされてきた。だが、真相は日本国憲法は、明治の自由民権運動の伝統に根ざすものだということが実証されたわけである。小さな新書本であるが、中身は数年にわたる資料探索と精読によって成った実証的で価値ある一冊である。またそこに引用されている多くの資料は国立国会図書館のサイトで公開されているから、確かめながら読むことができる。ネット右翼の人々は、本書を脅威と感じたらしく、amazonの書評で酷評し、読ませまいと必死に逆宣伝を展開しているのがこっけいである。この一事をとっても、本書がぜひ読むべき一冊であることはたしかである。(講談社現代新書2006年7月20日