苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

共和主義革命の熱狂


(本文と写真は関係ありません)
 まきひとさんから、日本は立憲君主型民主制ではなく、立憲民主制であるとのご意見をいただいた。天皇には三権における実権がなく象徴だけなのだから君主とは呼べないということである。過去の天皇神格化ゆえにわが国が犯した罪や過ちの重大さを思うときに、これほど危険な天皇制は廃止すべきだという主張者がいるのは当然だろう。私も、先の敗戦は明治以降の近代天皇制国家に対する、歴史の審判者からの厳しいさばきであると解釈するものであるから、共和主義者のいわんとする意味はわかる。あの時代、キリスト教会も天皇制にとりこまれて罪を犯してしまった。けれども、天皇制を廃止して共和主義になれば理想社会が来るのだろうか。
 筆者は、市民革命の歴史を教会史の観点からふりかえったとき初めて、啓蒙主義的価値観に立つ高校歴史教科書では隠蔽されていた市民革命の暗部を認識した。特にフランス革命は、あまりにも血なまぐさく独善的で、反キリスト的であったことを知った。筆者が受けた教育は、啓蒙主義ないしマルクス主義歴史観に影響されていたから、フランス革命絶頂期の内ゲバの醜いありようや、反キリスト的振る舞いはほとんど教えられず、「自由・博愛・平等」を実現したすばらしい革命というイメージが強かったが、それは現実ではなかったのである。
 筆者にはフランス革命の根本原理である啓蒙主義思想に対する懐疑がある。啓蒙主義思想の根には17世紀のルネ・デカルトがいる。デカルトのいう理性とは「三角形の内角の和は2直角である」といった明晰判明な確かさ以外は無意味ノンサンスとして排してしまいうるような、非常に狭い意味での理性だった。だからデカルト的精神にとって、歴史とか伝統とか文化は不確かでノンサンスだった。フランス革命はなぜ国王を断頭台にかけ、教会に理性の女神を持ち込むと言った暴挙をなしえたのか。それは、伝統や文化といったものをノンサンス!とギロチンにかけてしまうことができるデカルト的精神のゆえである。そういえば、全共闘時代、よくヘルメットの大学生たちが「ナンセンス!」と連呼していたことを思い出す。
 フランス革命の予言者と言われるルソーは、伝統的社会に対する憎悪に、デカルト精神による破壊力を加えて『社会契約論』を書いた。ロベスピエールはルソー崇拝者で、この書物をバイブルとして革命を遂行した。彼の行なった恐怖政治は、後のロシア革命毛沢東革命、ポルポト革命につながっていく。全共闘運動の結末が浅間山荘事件と「総括」という血なまぐさい内ゲバであったことは、けっして偶然ではない。こうしたことを知るにつれて、啓蒙主義思想がうさんくさく思えてきたのである。啓蒙主義が迷信の暗闇から人類を救い出したという功績があるのは事実であるが、その反対極の理性崇拝の熱狂に陥って合理的でないものはすべて「ナンセンス!」と切って捨ててしまうことを警戒するのである。
 イングランド共和政はクロムウェル死後まもなく王政復古となり、議会がさらに立憲君主制に移行させて以後、現代にいたるまで国家としての安定を得た。これに対して、フランスは第一共和政以後、めまぐるしく政体は変革され続けてずっと不安定のままである。なにがちがったのか?共和政と立憲君主制の違いである。立憲君主制においてしばしば「国王は国民統合の象徴にすぎない」といわれるけれど、「すぎない」というのは実は国というものがよくわかっていない人々による過小評価であって、「国王が国民統合を象徴する」というのは非常に重要な役割だったのではなかろうか。国民がそのときそのとき選挙した大統領が国民統合の象徴というのでは、どうしても安定感に欠くのである。これに対して、国王には、伝統という権威の源泉がある。
 では、「おまえは手放しに天皇制を支持するのか」と問われれば、そんなことはまったく思っていない。そこには少なくとも二つ大きな課題がある。だが、天皇制を廃止して共和政にすればすべてがうまく行くかのようなことを考える人がいるならば、それは幻想ですよといいたいだけである。