苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

古典を読むことについて

 「君たちは、古典を読むべきだ。新書のような解説書ではなくて、古典そのものを読むべきなのだ。そうしないと、知識がふえてわかった積もりになるだけで、ほんとうの考える力は身に付かない。」高校生のころだったか、こんなふうに勧められたことがある。
 それで学生時代、なるべく岩波、中公、講談社などの新書の解説には頼らないで、古典そのものを読むことに努めた。「そのもの」を読んでみると、たしかにすこぶる難しい。時代背景、人物の背景などについては、その本に少しばかり付されている「解説」だけを見て、本文そのものを読もうというのだから、簡単にわかるわけがない。時々、新書類で解説を読んでみると、自分がいかに見当違いの読み方をしていたかを知って笑ってしまったり、「なるほどこんなにわかりやすい本だったのか」と驚いてしまう。けれど、実物を読むと、やっぱり難しくて、「ほんとうにあの新書に書いてあるみたいに単純なことを著者は言おうとしているのだろうか?」と思うのである。
 思えば、なにより貴重だったのは、「わからなさに耐えて、読み続け、考え続ける」という経験だったのであろう。脳漿を絞るような経験というか・・・。