苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

明日は召天者記念礼拝


 この南佐久郡で福音の宣教を始めてから、七人の方たちを天に送った。
 最初は私の母紀子だった。最期の2年間、この地でいっしょに開拓伝道の小さな群れの礼拝のなかで過ごせたことは、ほんとうに神様の恵みだった。なんの親孝行もできなかったけれど、母は「ありがとう、ありがとう」と言ってくれた。天に召される少し前、北海道に孫の渉といっしょに行くことができたのは、神様の恵みだったね。
 二番目は八千穂村のとし子さん。遠く川崎に転勤になった夫を思いながら、子どもたちを一生懸命に育ててこられたお母さんだった方である。晩年に娘さんたちが信じたイエス様を受け入れられた。とし子さんのおかげで、毎年、老人ホーム美の輪荘にクリスマスをお届けできるようになった。
 三番目は、相木村に生まれた末三さんだった。柏崎聖書学院の一期生として奥さんといっしょに新潟で伝道戦線に立ち、奥さんが病を得られて、信州に戻られてのちは、キリスト者教員として多くの教え子たちに福音の感化を与えられた教師の鏡ともいうべき方だった。そして、神様の前にどこまでも謙虚な方だった。
 四番目は川上村の嘉久さんだった。家庭集会で語られる聖書のことばを、少し離れたところで聞くともなく主イエスの福音を聞かれて、あざやかな回心を遂げられた嘉久さん。回心を遂げられるや毎日、家族子どもたち私のためにも祈ってくださった嘉久さんだった。
 五番目は南牧のさだばあちゃん。訪問するとハーモニカで「荒城の月」や讃美歌を聞かせてくださったさだばあちゃん。実は若い日に富岡で教会に通っていたこと、東京文京区で働いたおうちがクリスチャン家庭だったことを告白されて、大きな声で「イエス様、助けてください」と祈られるようになったさだばあちゃん。今でもあの大きな声は耳の底に響いてくる。
 六番目は野辺山の泉さん。障害を背負って生まれたけれど、お父さん、お母さんのキリストにある力強い愛に育てられた泉さんは、まっすぐな心を持つ女性だった。思い出すのは、帰省されると礼拝にはいち早く来られて背筋をピンとのばして、かけておられた姿。
 そして、第七番目は弘代さん。訪問すると、お茶をどうぞ、お菓子はどうですかといつも人になにかしてあげたいおばあちゃんだった。そんな弘代さんが、病を得てなにも人にしてあげられなくなって辛いなか、イエス様を受け入れられた。
 神様はそれぞれに人生を恵み、それぞれに出会ってくださって、御国へと召してくださった。私も自分に与えられた人生を誠実に歩んでいきたい。