苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

東京基督神学校60周年 小畑進先生

 今日はキリ神60周年記念礼拝・記念講演会に午前中出席し、午後は授業だった。記念礼拝説教は下川友也先生、講演は小畑進先生である。小畑先生とは25年ぶりにお目にかかる。先生は今年81歳。講義は使徒の働き17章、アテネにおける使徒パウロについてであった。その骨子は、先生が神学生時代の夏休み研究において出来上がっていらしたということである。
 古代において哲学・文学・芸術の粋を集めたアテネは、誇り高き学都でありながら、二万体という偶像に満ち満ちていた。アテネ人は知者を自任しながら、こと宗教的なことについてはまことに無知蒙昧な人々であった。アテネを訪れる多くの人々はアテネアクロポリスの丘を眺めれば、その壮観に圧倒されたのであるが、天地の創造主から派遣された使徒パウロは、その霊的暗黒状況に深い憤りを覚えた。
 しかし、彼はアテネ人を「愚かな人々」と罵るのではなく、「信心深い人々よ・・・」と一定の敬意をはらった柔和な態度で語り始める。また、その宣教はアテネ人に理解しやすいようにと、なかなか工夫を凝らしたものである。そこにあった「知られざる神に」という碑から説き起こし、パルテノン神殿を指差しながら、天地の創造主は人間の手で造った建物になど住みはなさらないと大胆に断言しては神の超越性を述べ、かつ、私たちは神のうちに生き、動き、また存在していると言って神の親しみやすさをのべる。そして、私たち自身、神の似姿として造られた、いわば神の子孫ゆえ、神を人間の手で造った偶像ごときものと考えてはならないと、まず神論を説き了えた。ここまでは誰もがふむふむと聴いていたようである。
 使徒はここから悔改めを迫る。神は、これまでそのような無知な時代を見過ごしてこられたが、今や悔い改めるべきときだ、と。知恵を誇るアテネ人に対して、こと宗教については、あなたがたはまるで「無知」だということばを、あえてピシリと投げつけた。ついで、使徒はキリストによる審判、キリストの死と復活を大胆率直に告げた。・・・そうした途端、アテネ人たちは冷笑をもって「このことについてはまたいつか聞くことにしよう」と言って去って行った。わずかな人々を例外として。
 こうしてアテネには、パウロがこれまで訪ねて来たピリピやテサロニケにおけるようには、教会は誕生したという形跡がない。それだけ見るならば、アテネ宣教は失敗だったかに見えなくもない。しかし、さらに長い目で見るとき、かつての異教の知恵の都アテネもまたキリストのもとにへりくだることになる。今ではギリシャ国旗といえば、白地に水色の縞模様には十字架があしらわれている。やはり、蒔かれた福音のたねは生きているのである。
・・・・記憶をたどれば、大筋、このような内容の講演だった。久しぶりにうかがう東西両思想に通じた小畑先生の名調子に深い感銘を受け、因習深い山国に派遣された一伝道者として励ましをいただいた。
 来春はキリ神は学生募集を停止する。キリ神の名は消えても、東京基督教大学で新設される牧師伝道者養成コースにキリ神のスピリットは受け継がれていくという。これが、伝道者養成機関として主に用いられるようにと祈る。キリ神のモットー「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」(黙示録1:9)