苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖霊の台風

使徒2:1−13
2009年9月6日 小海主日礼拝

はじめに
2:1 「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。」

 旬とは十日間という意味ですから、五旬節とは五十日祭りという意です。過越しの祭りの安息日の翌日から五十日目の祭りです。五旬節は小麦の収穫の祭り、収穫感謝の祭りでした。過越しの祭りの安息日の翌日とは、イエス様が復活された日です。イエス様が十字架で私たちの罪を償うために死んでよみがえられて、救いのためのみわざはすべて成し遂げられました。その日から50日目が五旬節つまりペンテコステでした。
 父なる神は、わざわざ収穫感謝の日を選んで、聖霊を天から弟子たちの上に注いでくださいました。それは、旧約時代は狭いイスラエルだけが畑だったが、これからは世界という畑から、人々を収穫して、天の倉におさめる時代がやってきたということを示すためでした。

1.聖霊―――― 風、炎のような分かれた舌

2:2,3「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。」

(1)風
 聖霊はご人格ですが、そのご性質やお働きの特徴をあらわすために、いろいろは表象が用いられています。その一つは「天からの激しい風」でした。天から激しく吹き降ろしてくる風が、イエス様の弟子たちが集っている家にぶちあたってゴーッと鳴ったのです。「天から」というのは、この御霊は御子イエスが父にお願いして送っていただいた天から派遣されたお方であるということを意味します。聖霊の降臨は父なる神の約束の成就です。この聖霊は家を揺るがすすごい音とともに降られました。その音は、集っていた人たちの心の中だけに聞こえたという主観的なものではなくて、町の人たちが物音を聞いて集まってきたことからわかるように、実際にものごすごい音でした。このものすごい聖霊の下った音は、新約の時代には旧約時代とちがって、ドバーッと聖霊が注がれるということを意味しています。聖霊を風にたとえるならば、旧約時代の聖霊の活動はたまに吹くそよ風だったとするなら、新約時代は、台風です。
 では、そもそもなぜ「風」を表象にされたのでしょう?それは主イエスが、「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。」(ヨハネ3:8)とおっしゃったように、聖霊は自由自在に働かれるのだということを意味しています。私たちは冬は北風が吹き、春になると南から風が吹くことを観測することはしますが、観測するだけで風向きをどうこうすることはできません。同様に、私たちは聖霊様を思いのままにコントロールできるものではありません。聖霊様は神であり主権者ですから、聖霊を人間が利用しようという態度ではなくて、むしろ、聖霊の導きにしたがいましょう、聖霊さまに用いていただきましょうという態度が大事だということを教えています。聖霊の風が自由に吹きまわってくださるように、それを邪魔しないことがたいせつです。聖霊を悲しませないようにすることが大事です。

(2)炎のような分かれた舌
 またここでは、聖霊は「炎のような分かれた舌」いう姿でご自身を現されました。炎ということですぐに思い出されるのは、紀元前1500年頃、主がシナイの荒野でモーセにご自分を現されたとき、燃えても燃えても決して燃え尽きることのない柴の木のことでしょう。神は決して燃え尽きることのない活力に満ちたお方なのであるということを私たちは、この炎としてのあらわれから知ることができます。
 「燃え尽き症候群」ということばを、数年前から耳にするようになりました。小学校や中学校の先生が、クラスの子どもたちが好き勝手なことばかりしていて、どうにもならなくなってしまって、子どもが不登校になるのではなく、先生が不登校になるというケースが今日とても多くなっています。一生懸命にしてもどうにもならなくて、からだも心もぼろぼろになって燃え尽きてしまったのです。他人事ではなくて、時に、「牧師の燃え尽き」ということばを聞くこともあります。我慢してがんばってがんばって、さらにがんばって、そしてその緊張の糸がぷつんと切れてしまったようなそういう症状です。今、週にいっぺん学校で教会の歴史を教えているんですが、若い神学生と交流の機会が与えられていることは恵みです。みな誠実に、一生懸命に伝道者になるための勉強に取り組む姿には、かえって教えられることも多いです。
 ある神学生が、「4月から神学校にはいって母教会で奉仕神学生として仕えることになったのだけれど、毎週主の日が近づくとものすごく緊張して、主の日が終わると、ぐったり疲れ果ててしまうんです」と話していました。3月まではそういうこともなかったそうですが、やはり神学生という看板を背負って、人の目の評価を気にしながらの教会生活は大きなストレスなんでしょうね。話を聞いて、そういう緊張感はある意味たいせつだけれど、ちょっと危ないなあと感じました。牧師になったら、さらに看板が重くなるわけですし。
 どうすればよいのか。その務めから逃げるわけにはいきません。燃え尽きることのないお方、聖霊さまによって、主イエスとしっかりと結びつくことが大事だと思います。聖霊によって父の赦しと、父の愛を味わうことなくして、牧師の務めはまっとうできないでしょう。聖霊様によって、父の愛を知り、御子との交わりをえるときに、燃え尽きることなくご奉仕をまっとうできるでしょう。
 私自身にとっては、主の日にみなさんとともに礼拝をささげ、ともに交わることこそが、いちばん大きな喜びです。週日、自分の罪や弱さにめげてしまったとき、それでもめぐってきてくれる主の日に、お一人一人が礼拝堂に集ってこられる姿を見るだけで、なんだかものすごく感動してしまいます。そうして、ストレスは吹っ飛んでしまいます。しあわせものですね。
 
2.世界宣教

 また、ペンテコステに現れた炎にはもうひとつの特徴がありました。それは、根元は一つで先っぽが分かれた舌のようであったというのです。お一人の聖霊が、一人一人に福音を語るためのことばを私たちに授けてくださるのです。とても不思議なことが起こりました。ガリラヤ地方で生まれてから一度も海外旅行などしたことがないイエスさまの弟子たちがペラペラ外国語で、イエス様の福音を語り始めたのです。もちろん奇跡です。
2:4 「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
 奇跡は、聖書では別名「しるし」と呼ばれます。神様はこのしるしをもって何をユダヤ人たちに示そうとなさっているのでしょうか。それは、キリストの救いはユダヤ人だけのものではなく、すべての民族・すべての国語の人々に提供されているのだということです。このことは、今の時代から見るとあたりまえのことのようですが、当時のユダヤ人にとっては、天と地がひっくり返るほど驚くべきことでした。ユダヤ人たちは、自分たちアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるものだけが神の民であると固く信じて疑わなかったからです。彼らは選民であるという誇りをもって生きてきたのです。イエス様の時代には、ユダヤ人たちは地中海世界から今で云うイランあたりまで広がって、あちこちに移住していて、異邦人の中からも改宗者は出てきていましたが、異邦人が改宗したばあい、割礼と言う儀式を受けることが求められました。これは宗教的な意味で、異邦人でなくなりユダヤ人となることが求められたのです。そのように、神の民はユダヤ人だけなのだという観念は強固なものだったのです。
 ところが、今や彼らの目の前で弟子たちは外国語でキリストの救いが語っているのです。いや語っている弟子たち自身こそもっともびっくりしてしまいました。話したことはもちろん聞いたことさえない外国語で、自分の舌が自由自在に「イエス様は神の御子であり、このお方があなたがたの罪を償って十字架で死なれたけれども、三日目に復活されたのです」と話しているのですから。
 
 ところで、この日、エルサレムには、「敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいた」とあります。というのは収穫感謝の祭りのために彼らは集っていたのです。天下のあらゆる国というのは、当時の世界事情をあらわしています。紀元前4世紀アレクサンドロス大王が、ヨーロッパとアジアとアフリカにまたがる大帝国を築き上げ、さらに、その世界をローマ帝国が呑み込んでしまってから、インドの西からイベリア半島まで一つの世界となっていました。人と物が東西南北を行き来し、ユダヤ人たちもあちこちに移住していたのですが、大切な祭りの時期になると、東西南北から巡礼としてこのエルサレムを訪れたのです。祭りの時期、エルサレムの城壁内に入ることができない人々は、城壁の外に大きなテント村ができて、そこから神殿に通いました。
 ところが、この日、マルコの屋敷で大きな物音がしたので、彼ら巡礼たちが集ってきたのです。そして、そこで、それぞれの移住先の国々のことばで、「イエス・キリストの福音」を聞かされたのです。
2:6−8「この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。」
 どうしたことでしょう?そうです。キリストの福音は、あらゆる国の人々に提供されているということなのです。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と主イエスがおっしゃったとおりです。

3.世界宣教の担い手

 世界宣教の最初の担い手は、誰だったでしょうか。使徒たちではありませんでした。ここでキリストの福音を聞かされた一般の信徒たちでした。
2:9−11「私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」

 彼らは、この祭りが終わると、それぞれ自分の国へと帰っていきました。帰っていって、そこでキリストの福音を証していったのです。パルテヤとは今の北西インド、アフガニスタンあたりからイランにかけての地域です。メジヤとはカスピ海の南、エラムとはペルシャ湾北岸、そしてユダヤ。それから、カパドキヤ、ポント、アジヤ、フルギヤ、パンフリヤは小アジア半島です。エジプト、クレネ、リビヤは北アフリカ。そしてローマ、アラビア、クレテから来ていた巡礼たちです。東西南北から集ってきた人々でしたから、彼らがキリストの福音を東西南北に広めて言ったのです。彼ら一般信徒が最初の異邦世界への宣伝者となったのでした。宣教師パウロや、伝道者ピリポが派遣されて出かけていく前に、すでに彼らがキリストの証人として出かけていったのでした。
 聖霊は、台風の吹き荒れ、土砂降りの祝福を初代教会にもたらしました。キリストの福音の恵みは、もはや狭いユダヤの中には閉じ込めておくことができず、東西南北あらゆる国の人々へと溢れ出ていったのでした。
 
結び
 この間、ペンテコステでこの箇所を味わったのですが、今回あらためて読み味わってみて、つくづく、聖霊さまに満たされて、イエス様の愛を体験することこそ、なによりの信仰生活と伝道の秘訣なんだと確認した次第です。家庭のなかで、地域において、キリストの復活の証人として生きるには、どうしたって聖霊の満たしなくしてできるわけは無いのです。
 さいわい、この時代、聖霊さまはギフトです。賜物です。プレゼントです。いくらお金を払っても買うことはできません。ただ神様の御前にへりくだって、自分の罪を告白し、「私を聖霊さまによって満たしてください。ありがとうございます。」と受け取るのです。そして「私をキリストの復活の証人として用いてください」と祈りましょう。これは神様の約束ですから、聖霊は、必ずあなたのうちに満ちてくださいます。
 そうして、もしあなたが聖霊に満たされて喜ばしくいのちある生活をしていれば、「あなたの喜びの秘訣はなんですか?」とたずねる人が必ず現れます。「いっしょに教会に行きましょう。」と誘ってみましょう。また、幸いなことに、日本人はみな字が読めますから、福音文書を用意しておいて手渡しましょう。あなたも世界宣教の担い手なのです。