苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

うまいラーメンとティラノサウルス

 昨日、東京で暮らす長男をむかえるために、次男を車に乗せて出かけた。帰り道、十幾年ぶりに練馬区谷原の「珍珍珍」というラーメン屋に寄った。これで「サンチン」と読む。長男と私は看板メニュー「コクうまラーメン」、中一の次男は「コクうま塩」だったかを大盛りで食べた。三人ともおなかがすいていた。目の前に出てきた大きな器を前に、すぐ食べたいのを我慢して、
「天のおとうさま。サンチンさんを祝福してください。」
と店の祝福を祈ってから、パチンと割り箸を割った。私は外食するときは、たいてい、そのお店の祝福を祈ることにしている。「彼ら過ぎ行くや涙の谷も泉湧き出づる所に変えむ」という詩篇の一節が念頭にあるからだ。冬のある日は、お客さんがいなくてストーブもついていない佐久中込の店に入って、「神様、このお店にお客さんを送ってください。」と祈ったら、次から次にお客が入ってきて、お店の人が慌てて電話で家族を呼び出して総出で対応していたことがあったっけ。
 それはそうとして、珍珍珍。スープをすすると、「うーん。おいしー!」と口に出して言ってしまうほど衝撃的なコクうまスープだった。麺もほんの少し縮れて、ゆでかげんもバッチリで、大盛りだが、最後までビローンとのびない腰のある麺だった。その上、味付き玉子はサービスであり、また、食べきれないほどものすごい量であった。これならば、駐車場がないので、<路上駐車→罰金>の危険を冒してまで、たくさんのドライバーが食べているのも、当然であろう。・・・などとラーメン評論家ぶってみた。でもほんとに美味しかった。
 そのあと、関越道・上信越道で富岡の群馬県立自然史博物館へ。筆者は博物館とか美術館は実は苦手である。たくさん展示物がありすぎて、たいてい消化不良で、歩くのにもくたびれてしまうからである。この自然史博物館は、東京上野の科学博物館と同じように、進化論の枠組みにしたがって展示がされている点では陳腐な感じを否めないが、広すぎないのがよかった。それに、本物そっくりのデイノニクスとティラノサウルスが、ガオーッとかうなりながら動くのが、うれしかった。動画あり→http://www.gmnh.pref.gunma.jp/virtual/。そうそう、それからドードー鳥がいた。
 それにしても、ライオン程度のものがうろうろしているだけでも、危なくて歩けないのに、ティラノサウルスみたいなのがそのへんをのしのし歩いていたら、散歩にも買い物にもちょっと出かけにくいだろうなあ。とはいえ、筆者が住む小海町ではときどき有線放送で「熊が高原のパン屋さんの近所に出没していますから、気を付けてください。」と流れるが、山の中はともかく町のなかで熊に襲われた人はいないようである。通常は、いろんな動物がいても場所を住み分けているから、めったに熊に食べられるようなことはないのである。たまにでも食べられたくはないものだが。もっとも、もし進化の仮説が正しいならば、ティラノサウルスのいた時代と、人類が発生したと言われる時代が大きく隔たっているから、こんな心配はまったくすることに意味がないということになるのであるが、必ずしも、そうともいえない証拠があるらしい(参照→http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/wakaitikyu.htm#45okunen)。
 一人で博物館をうろうろしていても私はすぐ飽きてしまうのだが、きょうは息子たちと話したり、剥製の格好を真似て芸術的な写真を撮りながら回ったので楽しかった。博物館ゲームという、結構マニアックな設問が出るゲームでもベスト10に3つもエントリーできたし。博物館員たちは、挙動不審な三人がなにかとんでもないいたずらをするんじゃないかとちらちらこちらを見ていたような気がするが、クリスチャンですからそんな悪いことはしませんよ。
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、
 そこを泉のわく所とします。
 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。」詩篇84:6

  『不思議の国のアリス』でおなじみのドードー