苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ふたつのR13

 お上のいうことには一切逆らってはいけない。お上がいうことはたとえ悪いことであっても、いうことを聞くしかないのだ。聞かなければ痛い目にあわされてしまうのだから。・・・日ごろは威勢の良いことを言っていても、こと国が相手となると、こんな態度を取ってしまうことが日本人には多いでしょう。江戸時代のキリスト教禁圧政策のなかで、日本人は矮小化し、国家に対して非常に臆病になってしまったように思います。
 俗権は悪であるから、キリスト者と教会はいっさいこれとかかわるなという極端な考え方をする立場の人もいます。こういう人々は、キリスト者は徴兵に応じることはもちろん、公務員になるべきでなく、参政権も否定し、公教育、公共サービスも拒否するということになるでしょう。けれども、聖書はそこまでは言っていないと私は理解しています。
 聖書は、俗権は神のしもべとして剣をもって悪を抑制する務めを負い、民には納税義務があるとも教えています(ローマ13章1-7節)。ですが、もう一方で聖書は、俗権は時に自己神格化をはかって暴走するから警戒せよと教え、そういう俗権にはサタンがつきまとっているのだと教えています(黙示13章の獣)。
 というわけで、我々としては、国家をこの二つの13章の両方を視点から見るとき、バランスの取れた見方をすることができると思います。それで、聖書的な国家観が話題になると、筆者はいつも「二つの13章」が頭に浮かびます。それに、ローマ書Romansも黙示録Revelationもともに英語だと、Rが頭文字で共通しているのも便利です。聖書の国家観は二つのR13です。