苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

宮村先生との出会い(その1)

この秋、宮村武夫先生の著作シリーズの第一巻『愛のわざとしての説教』が出版される予定になっています。各巻末尾に、「わたしと宮村先生の出会い」というテーマでの文章を載せていくことになり、第一巻では筆者が担当になりました。その文章をブログに出版に先立って載せることを出版社が許可してくださったので、何度かに分けてアップします。

「喜びとの出会い」

 食堂の窓から見える校庭の木々がもみじして、穏やかな明るい日差しのなか、その葉を散らし始めていた。「水草君はまるで『存在の喜び』のセールスマンだね。」友人たちがそう言って笑った。「存在の喜びのセールスマン」。筆者は、この称号がいたく気に入ってしまった。もう二十数年前、国立にあった東京キリスト教学園の昼食時の食堂でのことである。当時は、東京基督教短大TCCと東京基督神学校キリシンと共立基督教研究所が国立キャンパスに同居し始めて三年目のことであったから、私が食堂で『存在の喜び』を話題にしていた相手はキリシンとTCCの友人たちである。
『存在の喜び』とは宮村武夫先生が仕えておられた新約教団青梅キリスト教会付属もみの木幼児園の十周年記念文集であり、当時出版されたばかりであった。キリシン一年生であった私は青梅キリスト教会に奉仕神学生として通っていたのである。

「宮村武夫先生」という名を知ったのは、その半年前、大学時代にお世話になった朝岡茂牧師を通してであった。朝岡先生は日本同盟基督教団土浦めぐみ教会の牧師であり、宮村先生のJCC時代の少し先輩にあたった。大学入学の少し前、神戸で回心した私は、進学のため茨城県に転じて土浦めぐみ教会に通うようになった。翌一九七九年一月に洗礼を受けてまもなく、自分の罪の重さとキリストの十字架による罪の赦しの恵みの偉大さに圧倒されて、「もはや自分のためにこの人生を生きたのでは申し訳ないので、すべてを主におささげします」と決心して祈らざるをえない体験をした。その後、朝岡先生は、「献身者は牧師の右腕左腕である」という方針で私を訓育してくださった。先生は、「いのちがけ」というのが口癖の、義理人情に厚く、燃え盛る火の玉のような牧師であり、同時に、信仰における知的側面・神学教育のたいせつさをわきまえた真理の前に謙虚な方でもあられた。
献身者という自覚をもっての大学時代の信仰生活は充実していた。主の日にはだれよりも早く会堂に行き、教会学校の奉仕では、「この子たちのためにはこの命も」と思い込んでいた。大学生としては早朝から深夜までひたすらわけのわからん哲学書と格闘したが、疲れを知らなかった。赦されるはずのない罪人が罪を赦していただけたことへの感激と、「神の栄光をあらわすために」という若い使命感に満ちていたのだった。主の奴隷として、ひたすら主のご栄光のために自分を捧げ尽くすことのみを求めていた。
 しかし、振り返ってみると、そうしたいわゆる献身者としての構えはいつしか偏狭な完全主義に傾いていったように思う。教会学校における奉仕の姿勢にかんして、時に同僚をきびしく面責したりすることがあったのは、そのせいであった。大学卒業と同時に神学校進学を控えていた三月のある日、私は牧師宅の応接間で朝岡先生から厳しく叱責を受けることになった。(明日につづく)