苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

かすみ草

 二十数年まえ神学校の寮で同室だった先輩に高木実さんがいる。高木さんは、神学校卒業後、首尾一貫してキリスト者学生会KGK主事として労してこられた。高木さんの好きな花はかすみ草。「マイナーな引き立て役が、神のくださった自分に対する役どころであるから、迷わずその道を行きたい。」と言っていた。大学生たちの傍らにいて、彼らの自主的活動を励まし支えるというKGKという働きに専心してこられたこと自体、高木さんにとってかすみ草としての道なのだろう。
 神学校卒業後は、めったにお会いする機会もないが、一度だけ信州小海のうちに泊まっていただいたことがある。胴回りがやや大きくなった以外、お変わりなく見えた。昔と同じように冗談ばっかり言っているくせ、時折キリストのしもべとして真剣に生きていることがうかがえる言葉を口にされる。さりげなく。そうそう「さりげなく命賭け」とか言っていたなあ、神学生時代。
 先日、神学生の一人が、「わたしは高木主事の生き方に影響を受けて、ここキリ神を選びました。」というのを聞いた。キリ神とは東京基督神学校のニックネームである。高木さんが学生たちの生き方に影響を与えるような歩みをして来られたことを知って、そういう先輩を持ちえたことを少し誇らしくも思う。「キリ神はぼくが初めて愛校心を持ちえた学校だ」ともおっしゃっていた。同感だった。
 そのキリ神の名は学園組織改革でまもなくなくなろうとしている。大学が生き残るための戦略の犠牲になるのであれば、犬死である。だから、主イエスの十字架の福音のために意味ある捨石となることを祈るばかりである。もしそうならば、キリ神の名が消えることは、むしろキリ神の本懐である。
「きょうはあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのです」マタイ福音書6章30節

小海の町長さんが撮影した松原湖