ああ 主の瞳 まなざしよ
三度わが主を 否みたる
弱きペテロを 顧みて
赦すは誰ぞ 主ならずや (讃美歌243)
あす説き明かすことになっている聖書箇所は、勇ましいペテロが、悪魔のふるいにかけられて主イエスを知らないと、三度までも言ってしまうあの記事である(新約聖書ルカ22:31−62)。主を否むとは、信仰告白の否定である。イエスは「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。」とまでおっしゃっている。
ペテロが「おれはイエスなんぞ知らない」と三度目に言い放った瞬間、鶏がペテロに有罪判決を告げた。そして、主は振り向いてペテロをじっと見つめられた。あのとき、主の瞳はなんと語っていらっしゃったのだろうか。