苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

草磲 剛くん逮捕

 草磲 剛くん君が、深夜三時酔っ払って裸で公園で奇声を上げていたら、公然わいせつの容疑で逮捕され、家宅捜索までされた。マスコミは大騒ぎし、総務大臣は「最低の人間だ。絶対ゆるさない」とのたまわった。もっとも「最低の人間」発言は翌日訂正したそうだが。

 一つ。この国の警察は、深夜、裸で公園で奇声を上げている酔っ払いがいたら、逮捕して家宅捜索までするのだろうか。これじゃまるで警察国家だ。一晩留置所に泊めて、酔いがさめたら「あなたも人気商売なんだから、今後こんなことはしないようにね。」とでも諭して、帰してやれば十分でないかと思う。

 一つ。私たちは量るように量り返される。総務大臣は、その同じ物差しで自分も量り返されても大丈夫なのだろうか。あまり人を厳しく量るものではない。「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。」

 一つ。マスコミは騒ぎすぎ。もっと報道すべき大事なことはほかに山ほどあるのに。

 そして、草磲君だけでなく、すべての酒好きに聖書のことばを贈りたい。

「ぶどう酒が赤く、杯の中で輝き、なめらかにこぼれるとき、それを見てはならない。
あとでは、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。」箴言23:31,32

「愚かにならないで、主のみこころは何であるかを悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」エペソ5:17,18


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 ところで、最後のエペソ書のことばは興味深い。酒に酔うことと、御霊に満たされることが並べて書かれている点が、である。このように並べられるということは、「酒に酔うこと」と「御霊に満たされること」との間に、類似性と、区別性が共存していることを意味している。およそ「AでなくBである」という場合、AとBの間にはある種の類似性が前提されている。「リンゴでなくミカン」とはいうが、「リンゴでなくベンツ」とは言わないように、「ベンツでなくBMW]とはいうが、「ベンツでなくコシヒカリ」とは言わないように。

 では、「酒に酔うこと」と「御霊に満たされること」の類似性とは何なのか?それを味わうときに得られる解放感や喜びであろう。では、「酒に酔うこと」と「御霊に満たされること」の区別性とは何なのか?それは、「酒に酔うこと」には愚かさがともなうが、「御霊に満たされること」には悟りと賢明さがともなうということである。

 酒は知性を麻痺させることで現実から逃避させて解放感を与えるが、御霊は神を愛する知性を目覚めさせて現実を冷静に見つめさせ、かつ神が万事働かせて益としてくださることを信ぜしめることによって、解放と喜びを味わわせてくださるのである。

 草磲君が、思いがけず与えられた長期休暇のうちに、まことの神を知り、御霊に満たされる喜びを知ることができるように、祈ろう。