苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

説教余録

みこころを知る

すでに書いたことかも知れないが、自分の人生に対する神の御心を知るために心に留めて祈るべき3つのことをここにメモしたい。 第一は、私にも主のためにできることはなんだろうかと考えること。キリストのからだである教会のひとえだとして、私を召された以…

強靭であるためには

10月5日、松原湖研修会で話した「強靭な皮袋を」という説教に少しだけ手を入れて、本日の礼拝説教としてお話した。その準備のなかで、「強靭」つまり、「丈夫かつしなやか、柔軟である」ためには、どういうことが大事かということを改めてマルコ伝の文脈から…

ローマ時代の足枷

エウセビオス「教会史」5:1:27「その両足を足枷にの上で五番目の穴まで引き伸ばすこと」、同6:39:5「(オリゲネスは)何日間も木の台の上で両足を引き伸ばされる拷問にあった」。

福音書に、青年サウロが?

共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に、サウロらしき男がイエスのもとを訪ねている記事がある。サウロとはもちろんのちのパウロのことである。どの福音書もその名を明かしていないのだから、決して断言するわけではないが、筆者には、これは青年サウロでは…

マルコ福音書―活き活きとした証言

バルナバの甥ヨハネ・マルコについて、少々メモしておきたい。2世紀のパピアス以来、マルコはペテロの通訳を務めた弟子で、彼はペテロから直接聞き取ったことに基づいて福音書を記したとされる。「また私の子マルコもよろしくと言っています。」(Ⅰペテロ5:1…

おすすめ! 『使徒(アポストロス)―遣わされし者たち』(新共同訳準拠・みんなの聖書マンガシリーズ 日本聖書協会)

今、伝道者になって初めて「使徒の働き」の連続講解説教をしている。新約聖書に関して言えば、福音書とほとんどの書簡群については礼拝説教か祈り会の聖書研究で順々に説き明かしたことがあるのだが、「使徒の働き」の抜粋でなく連続説教は今回が初めてであ…

帝国の政治手法

主イエス御在世当時、ヤコブの子孫イスラエルはイドマヤ人ヘロデの王家の支配下にあった。これはローマ帝国の傀儡政権である。イドマヤ人とはエドム人の子孫、エドム人とはエサウの子孫である。エサウとヤコブは母親の胎内にいたときから仲が悪かった双子だ…

ステパノの心境

2月28日の使徒7章のステパノ殉教の記事からの説教の余禄。 キリストの福音を拒んで、今まさに自分を殺そうとしているサンヒドリン議員たちを前にして、ステパノはどのような心境だったのだろう。彼はひざまずき石で打たれながら「主よ。この罪を彼らに負わせ…

十字架を覆った暗闇

主イエスが十字架にかかった日の正午から暗闇が全地を覆ったことは、同時代の小アジア半島ビテニアの異教徒の年代記記者の記事において証言されている。(Fragmenta Historicum graecorm, Didot, Paris, 1849, tome III, Phlegon, L. 13, c 14) 「第202回の…

再考 職業召命説

(6月4日 キリ神チャペル説教余禄) 1. ルターと職業召命観のプロテスタント圏へのひろがり ローマ教会では、司祭職・修道士は聖なる職務につくものであり、その他の労働は俗なる卑しいものであると見做された。聖書に立ち返った宗教改革者は中世ローマ…

古代のキリスト教伝来 思いつくまま

神学校図書館で佐伯好郎『景教の研究』を借用してきて読んでいる。 ペンテコステと古代の世界宣教を調べていたら、十二弟子のひとりトマスのアッシリヤ地域、インド宣教、さらに彼が初代大主教として創設したアッシリヤ東方教会による唐代の中国宣教のことま…

説教余禄 田舎暮らしと生活の全体性

都市生活をしていたころ、生活はいかにも抽象的だった。なんでもお金という抽象的なものに置き換えられていたからである。田舎に暮らすようになって、生活の具体性というものが見えてきた。食べること一つとっても、ちゃんと土を耕して種をまいて、水をやっ…