聖書翻訳
昨日書いたサムエル記下13:37〜39、とくに39節について、ブログ上でiohsugi牧師に教えられたので、もう一度書き直します。 口語訳 13:37しかしアブサロムはのがれて、ゲシュルの王アミホデの子タルマイのもとに行った。ダビデは日々その子のために悲しんだ…
新改訳と口語訳・新共同訳・文語訳でかなり訳がちがうというか、逆さまのところをみつけた。サムエル記下13:39〜14:1である。 口語訳 13:37しかしアブサロムはのがれて、ゲシュルの王アミホデの子タルマイのもとに行った。ダビデは日々その子のために悲しんだ…
新改訳聖書で気になる漢字のひとつは、病の癒しに関して、「直す」「直る」という字を用いていることである。ただの物の修理のばあいは「直す」でよいのだが、病のばあいは「治療する」と書くように「治す」が普通である。おそらく漢字使用にかんする公的な制…
時にカレブは言った、「キリアテ・セペルを撃って、これを取る者には、わたしの娘アクサを妻として与えるであろう」。カレブの弟ケナズの子オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを妻として彼に与えた。 アクサは行くとき彼女の父に畑を求めること…
ここ数年、信州宣教区の牧師会では、担当者をきめて牧会書簡を順々に学んでいる。一昨日とくに伊那谷牧師が提言されて議論になったのは、テモテの手紙第二の終盤、デマスにかんするところだった。 新改訳 デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行っ…
ケセン語訳聖書の翻訳者山浦さんの話が聞けます。大船渡でお医者さんをしていて、昨年3月11日に津波を経験されました。 どういえばいいんでしょうか。不謹慎だと思われるでしょうが、なんともおもしろい話です。ぜひ聞いてください。そして、胸が熱くなりま…
ケセン語訳聖書で山上の垂訓や放蕩息子のたとえを聞くと、なんともしみじみと胸打たれる。田舎育ちのイエス様があの丘の上で、ガリラヤ弁でお話になったのだから、標準語よりこちらのほうが雰囲気が出ている気がする。放蕩息子の話では、胸が熱くなってしま…
ピリピ書の末尾には、次のようなパウロの祝福の祈りがある。 「どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」(4:23新改訳)口語訳、塚本訳、前田訳、新共同訳、NIVいずれも同じようなものである。 「あなたがたの霊とと…
「3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、 3:9 キ…
21日、軽井沢の教会で信州宣教区牧師会があり、いつものように研鑽のときを持った。ここ二年ほど学んでいるのは、「牧会書簡」と呼ばれるテモテの手紙第一、第二である。今回は第二の手紙の2章19節から26節。 「2:19しかし、神のゆるがない土台はすえられて…
最近、当ブログでは引用本文を口語訳聖書に切り替えたことにお気づきの読者がいらっしゃるでしょう。新改訳聖書の聖句引用はHP、ブログなどでも「通算250節」までに制限され、それを超えると使用料が発生するのだそうです。 http://www.wlpm.or.jp/seisyo/…
ここに掲載するのは『福音主義神学』第41号の端っこに載せていただいた原稿である。第41号は創立40周年記念号で、宇田進先生、鍋谷堯爾先生、丸山忠孝先生、湊晶子先生、宮村武夫先生、村瀬俊夫先生、安村仁志先生、横山武先生という戦後の日本福音主義神学…
4年ほど前、ずーっと前から憧れていたBibleWorks(以下BW)というソフトを、清水の舞台から飛び降りるつもりで手に入れた。その結果、宝の持ち腐れになっていた。それが恥ずかしくて、BWを持っていることも誰にも言わなかった。私のことを「べんじょ先生」と…
新改訳聖書ヨハネの手紙第一1:2,3 「──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──私たちの見たこと、聞いたことを、あなた…
大月湖夜明け 22日にヨハネの手紙第一1:2をとりあげて、御子イエスを意味する「永遠のいのち」が「御父とともにあ」ると訳されていることが奇妙であることを指摘した。というのは、「とともにwith」と訳されることばはprosという前置詞で、通常「〜に(向かっ…
新改訳聖書第三版の1章2節は次のようになっている。 「──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──」 この翻訳でずっと前…
昨年11月下旬から長男と玉川直重さんの独習テキストを用いてコイネーギリシャ語の初等文法を勉強してきて、やっと文法篇が終わって、昨夜から後半のヨハネの手紙第一の講読にはいった。諸訳で次のようになっていて大差ない。 新改訳「初めからあったもの、私…
クリスマスにちなんで、昨日に引き続き、マリヤへの受胎告知の場面の翻訳上の疑問の二点目である。ルカ1:37節の訳文については四つの邦訳聖書の間にはさして大きな違いはない。 新改訳(2,3版)「神にとって不可能なことは一つもありません。」 口語訳 「…
新改訳聖書でアドベントのマリヤへの受胎告知の箇所を見ていたら、これはいかがなものかと思われる翻訳に二点気づいた。第一点は、ルカ1:34「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」である。この翻訳のニュアンスでは…
大阪の牧師さんが、山上の説教をギリシャ語本文の語順そのままに大阪弁に訳して朗読しています。もともと聖書は、文語体ではなくて、会話体のコイネーギリシャ語だから、こんなふうに訳すのがいちばんニュアンスとして原文に近いのではないかというわけです…
新改訳の使徒15:38についてメモをする。青年マルコはバルナバ、パウロとともに出かけた第一回伝道旅行の途中で伝道の任務をほっぽり出してエルサレムに帰った。第二回伝道旅行に出かけるにあたって、バルナバはそんなマルコをもう一度同行させようとする。し…
<新改訳>「律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。『兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。』」(使徒13:15) 翻訳上の問題を見つ…
親しくさせていただいている野沢福音教会の小寺牧師と三度目の新改訳本文の検討をした。今回、小寺牧師が取り上げたのは、ピリピ書1章1節である。 ピリピ書1章1節は「 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあ…
( yutorieさん のオリジナルリース。すてきでしょう。) 『なんで神様は人間が小さな声で話していると怒り出すのだろう?』30年ほど前、教会に通い始めて、新改訳聖書を読んで異様な感じを受けた。問題は「つぶやく」という訳語であった。新改訳聖書では、…
一昨晩、近くのK牧師といっしょに新改訳聖書の聖書翻訳について話す機会があった。新しい訳業が始まるということなので、日ごろ説教者として聖書釈義をしてきて、気になるところを出し合おうということで、勉強会を始めたのである。K牧師が出された話題の…
ナツユキソウ 創世記1:27 口語訳> 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。新共同訳> 神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。文語訳> 神其像の如くに人…
けさ、小著『神を愛するための神学講座』の千葉の読者からご質問をいただいた。「キリストが人性をとられたのはいつからなのか?」という問いである。二つの考え方がありえて、一つは処女マリヤのうちに宿られたその時以降であるという見かたであり、もう一…
ちょっと久しぶりに新改訳について気になるところを取り上げたい。マタイ福音書16章26節である。 文語訳> 人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又またその生命の代りに何を與へんや。口語訳> たとい人が全世界をもうけても、自分の命を…
神奈川のY教会のキリスト信徒Nさんという方から電話があった。著作権フリーで、教派的色合いなく、日本語として少々不自然でも、とにかく原典を忠実になぞった聖書翻訳をWEB上で始めているので、当ブログに載せた聖書翻訳に関するメモを用いたいとのこと…
ローマ書12章2節 <新改訳>「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」 ローマ書は11章までは教理…