苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神学

十字架のことばは・・(2)劇的贖罪説と悪魔のほくそ笑み

「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21) 1.劇的贖罪説 キリストの十字架の死は、悪魔の奴隷になっている人間を解放するために、神が悪魔に対して支払っ…

神学の三体系とJ.I.パッカーとN.T.ライト

神学には、罪のとらえ方を支点として、3つのタイプ体系が生じる。恩寵救済主義、自力主義、そして両者の中間の神人協力説である。これはA.A.ホッジがOutlines of Theologyで言っていたこと。1.恩寵救済主義。 人間の罪は自由意志までも罪しか選べない状態…

J.I.パッカー『十字架は何を実現したのかー懲罰的代理の論理』

「罪人はいったい何から救われなければならないのか?」この問いに正しく答えられるかをさぐられるでしょうか。 友人の長島勝君が翻訳した、J.I.パッカー『十字架は何を実現したのかー懲罰的代理の論理』(いのちのことば社)が、ついに出版となりました。ア…

預言は預言者の意図を超える

11:49 しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。 11:50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていな…

Theist(有神論者)を自任しつつ、deist(理神論)的に考えている人々

大学時代に小川圭治先生からキルケゴールを手ほどきしていただいた。ゼミで読んだのは『哲学的断片』だった。小川先生はカール・バルトに直接学んだバルト研究者であり、先年、天に召されたとうかがっている。卒論はパスカルに関するもので、主査にはパスカ…

「正典的聖書解釈」の来歴にかんする目見当

ウィトゲンシュタイン後期における「言語ゲーム」という考え方が、近年のリベラル神学の正典的聖書解釈の背景にあるという件についての、目見当のたんなるメモ。1.デカルトの還元主義 デカルトは『方法序説』で「部分の総和イコール全体」という考え方を提…

藤本満『聖書信仰』を読み終えて・・・ポストモダンの効能と使用上の注意

本書は「聖書信仰」について、<宗教改革、17世紀プロテスタント正統主義、経験主義、合理主義とプリンストン神学、ファンダメンタリズム、戦前日本における聖書信仰、アメリカの新福音主義、第二世代のエリクソンとピノック、シカゴ宣言、聖書信仰を『生き…

「物語神学」の「物語」という用語の問題性

藤本満師『聖書信仰』続読。 「ジェラール・ジュウェットは、ストーリーとナラティヴを区別した。ストーリーは、実際に起こっている出来事の歴史的内容そのものであり、ナラティヴはその出来事を物語る文学的な言説である、と。歴史的な出来事としてのストー…

「自然」という用語の問題性

数年前から考えている「自然」ということばの問題性について。 「神・人・自然」というふうに、神と世界を把握する表現がある。神は人をご自分の似姿として作り、自然を治めさせることになさった、と言った具合である。 だが、気になるのは「自然」というこ…

教理の学び方 19921011 →20161027改

1.知識と愛 「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かにな り、あなたがたが真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。また、あなたがたが、キリストの日には純真で避難されるところがな…

「神のかたち」の観点から創造から終末まで見通す

今、四半世紀前に書いた『神を愛するための神学講座』にペンを入れて、少しだけ書き直しつつあります。そこにどうしても入れたい視点は、この件なのです。 人間はもともと三位一体の第二位格「神のかたち」である御子にあって造られ(コロサイ1:15)、被…

聖書の権威の射程

ああ、まさにそうだと思ったことば。 「聖書も、徹頭徹尾宗教的であり、救済を目的とした神の言葉である。しかし、それゆえにこそ、聖書は、まさに家庭や社会、学問や芸術のための言葉でもあるのである。」 「聖書は学問や芸術にとっても道の光であり、足の…

非キリスト者の葬に教会が携わることについて  <追記あり>

以前から、教会の葬儀について、また教会墓地使用規定について、考えるところがあったので、その根本にかかわる聖書からの考え方を、少々ここにメモをしておきたいと思います。 ある人たちは、キリスト教会が非キリスト者の葬にかかわることは世との妥協であ…

北海道聖書学院1学期講義おわり

今日は北海道聖書学院で1学期最後の講義でした。来週は試験です。担当したのは、キリスト論・救済論。キリスト論と救済論とを統合したクラスです。少し時間が足りないと感じて走りましたが、まあ、一応話すべきことは話せたかなと思います。かなり多くのレ…

キリストの十字架の死が、われわれの罪の代償であったこと

贖罪論についてノートを作っています。そんな中、あるブログに引用された、『殉教と殉国と信仰と』(高橋哲哉・菱木政晴・森一弘著、白澤社発行・現代書館)の高橋氏の対話を読んで驚きました。私はその本をまだきちんと読んでいないので、とりあえずのメモ…

キリストの恥辱のきわみの死の意味

きょう、HBIでキリストの職務について話をしました。なぜ、主イエスの死はあれほどに辱めをともなう死でなければならなかったのか、十分に表現できないのですが、少しメモしておきます。 「兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全…

組織神学の目的

「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」(使徒20章27節) 先週、神学校で組織神学のクラスの最初に少しだけお話したことです。 すでに緒論において学ばれたことと思いますが、最初に少しだけ、組織神学をする目…

HBI(北海道聖書学院)で

きょうは暖かい日です。木曜なので札幌の神学校に出かけたのですが、暑くて上着をぬいでワイシャツを腕まくりしてのクラスでした。札幌のほうが少し春が早いようで、つつじが赤紫の花を咲かせていました。 クラスは、キリストの二性一人格のこと。その教理の…

教会の任務

神を愛するための神学講座2に、「教会の任務」をアップしました。 http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20160317/1458181895

神を愛するための神学講座Ⅱに、キリストによる贖罪を加筆しました。

こちらです↓ http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20160115/1452816188

神を愛するための神学講座3権力に背を向けた人間(その3)をアップしました

http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20151027/1445893901 「権力と技術」の問題をアップしました。

神を愛するための神学講座2  聖霊はどなたか?をアップしました

http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20151027/1445906342

神を愛するための神学講座2  聖霊のみわざ  をアップしました。

http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20151027/1445907102

神を愛するための神学講座2 神に背を向けた人間(その1)を アップしました

久々のアップです。 人間論の後半、堕落論に入ります。 善悪の知識の木の意味、また、神との関係、自己との関係、隣人との関係、そして他の被造物との関係がどう変化したか?http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20151022/1445496439

神を愛するための神学講座2 神に背を向けた人間(その2)アップしました

文明がカイン族から出現したことが意味することについて。 http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20151023/1445607648

神に背を向けた人間  ・・・・・日本同盟基督教団信仰告白06

創世記3章1−19節 「初めに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。しかしサタンに誘惑され、神の戒めに背いて罪を犯し、神のかたちを毀損した。それゆえ、すべての人は生まれながら罪と悲惨、死の支配のもとにあり、思いと言葉と行為とにおい…

神を愛するための神学講座2  三位一体の「神のかたち」と人間

ひさびさにメモしました。 よかったら、どうぞ。 http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20150915/1442286073

同盟教団信仰告白06   神のかたち

「はじめに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。」(日本同盟基督教団信仰告白4a) 「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべての…

キリストの従順にあずかる

「2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、 2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、 2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従わ…

アメリカでなく、日本で聖書を読む意味

イラク戦争の終わったころから、日本にいてこそ、聖書はよく見えてくるということもあるのではないかという気がしてきた。というのは、古代イスラエルが置かれた地政学的状況と、現代の日本が置かれているそれとが類似しているからである。 古代イスラエルは…