苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

消費税と法人税

 ニュースで国会中継をちらっと見たら、野党(たぶん共産党)議員がこの激しい物価高なのだから、消費税を下げよと主張していた。そして、上のようなグラフを出して、法人税の引き下げ分を消費税で補填しているのだと話していた。グラフを見るとなるほど、と思える。
 だがある経済学者は消費税は下げるべきではないと主張し、法人税を下げることで企業活動が活発化し、経済全体が活性化していくことが大事であり、そうすれば消費者も潤ってくるのだという趣旨の主張をしていたのを聞いたことがある。これもなるほど、と思える。
 しかし、大企業は法人税が浮いた分を企業活動を活発にするために、有効に使っているのだろうか。つまり、設備投資とか研究費とか人材育成とか賃金上昇のために有効活用しているのだろうか?大企業は内部留保タックスヘイブンに蓄えて、企業の業績が伸びるために積極的に用いていないのである。それどころか実質賃金はどんどん下がっている。だから上記の経済学者の主張は机上の空論にすぎないといえるだろう。
 

 消費者は賃金を下げられ、かつ消費税で搾り取られているから、消費力がなくなり、大企業は法人税を払わないで、企業活動を活発化する意志すらなく、ただ蓄えている。これで景気が好転するわけがない。上の学者さんの説に則っていえば、どのようにしたら、やる気のない守りに入っている大企業が積極的にチャレンジするように導けるかということがカギということになるだろう。それには、どうすればいいのだろう?
 私は経済学を勉強したわけではないが、こんな感想をもちました。こういうことが、よくわかる読者がいたら、教えてください。


天井・壁・床暖房

今朝6時過ぎの屋内、屋外の気温です。ストーブをつけていませんが、およそ15度の温度差があります。鉄筋コンクリート4階建ての2階に住んでいるので、上下左右の人たちが暖房をしていてくれるおかげです。天井・壁・床暖房状態です。経済的。

 

小春日和

 ここ三日間、苫小牧は青空にめぐまれ、日差しが降り注ぎ、それほど寒くありません。こういうの小春日和というのでしょうね。今年は、秋が長いですね。牧師室の窓から見える街路樹のプラタナスがもう八割か九割、葉っぱを落としてしまいましたが。

『新・神を愛するための神学講座』読者へ

拙著『新・神を愛するための神学講座』を読んでくださり、感謝します。

聖句索引と正誤表がこちらにありますので、ダウンロードしてご活用ください。

moriaogael.wixsite.com

 

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クリスマスリースの準備

 今日は礼拝後一休みしてから、袋と剪定鋏を持って、妻と散歩しました。クリスマスリースの材料を集めるためです。最初ヤマユリの枯れたのを目星をつけていたのを探しに行ったら、すでに取られていました。でも、松ぼっくり、バラの実、枯れたホウズキが見つかりました。

結婚記念日

 今日は私たち夫婦の結婚記念日です。結婚したのは1986年11月3日。司式はモーリス・ジェイコブセン先生、説教は吉持章先生でした。会場は、土浦めぐみ教会でした。めぐみ教会新会堂で初めての結婚式で、なにからなにまで主にある兄弟姉妹のご奉仕でお世話になりました。いまさらながらありがとうございます。あの日に増永俊雄先生から記念にいただいたシチズンの壁掛け時計は、今もちゃんと時を刻んでいます。すごいです。
 今日は宣教区聖会から帰って来てから、家族で近所のスーリヤというネパール料理屋さんに歩いて行きました。店は木造の古屋を改造したもので、内壁がオレンジ色の壁に、ヒマラヤ山脈の写真とか、絵とかいろいろ貼り付けてあって、BGMはネパールの歌なのでしょうね。
 「これまで36年間、神様が私たちの家庭を守ってくださり、感謝します。これからも、どうか私たちの家庭の歩みを通して、神様のご栄光があらわされるようにお守りください。」と祈って食事となりました。
 カレーはやっぱり食が進みますねえ。とはいえ、でっかいナンはお代わりしてもいいのですが、一枚で満腹してしまいました。 「質素な造りがネパール風で、高級食器代や場所代にお金を払う必要がない分、ここは値段以上の実のある満足感だねえ」と言いながら帰ってきました。

信仰告白に生きること

    昨日、今日と、登別温泉郷で3年ぶりの対面の宣教区の修養会で、藤田敦(おさむ)牧師を迎えて3回にわたる説教をしていただきました。ペテロに神が賜った信仰について、ピリポ・カイサリアでの信仰告白、カヤパの官邸で主イエスの裁きが行われたとき下の中庭での裏切り、そしてガリラヤ湖畔での再召命をへて、ペンテコステにおける説教をたどって語られました。
 信仰告白に生きること。しかし、その信仰告白に生きることができず、挫折してしまったときのこと。しかし、その弱さと罪にもかかわらず、生ける神の御子キリスト、罪と死に対する勝利者によってもう再起して、福音を大胆に宣べ伝えることが許されていること。胸に迫るものを感じつつ、教えられました。
 藤田牧師と私は振り返れば43年も前からの付き合いになります。