苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

苫小牧の海沿いの町々

 昨日の主日説教はT先生に説教をお願いして、午後は会堂でお葬式で火葬まで終わって夕方に帰宅しました。
 今朝は高砂町を歩き了えました。最初くもっていましたが、風が強くて雲も吹き飛ばされて今は青い空が見えます。高砂町には浄土真宗本願寺派正光寺の大きな境内があり、隣接して小さな日蓮宗らしき法力教会があり、隣の浜町には真言宗望洋寺があって、その隣の元町には曹洞宗中央院と集まっています。海のそばに寺が集まっているというのは、どういうことなんでしょうね。
 このあたりが苫小牧の中では古い町だということなのかなあ、などと想像しています。もともと苫小牧は、春から夏は曇天が多くて日照が足りず、樽前山の火山灰の沼地だったので、農業不適地でした。それで小さな漁村だったそうです。
 大きな町になっていったとっかかりは1910年(明治43年王子製紙が苫小牧村に工場をつくったことだそうです。市制が施行されたのは戦後1948年(昭和23年)、遠浅の海に人工的に巨大な運河を掘って、港ができて船が出入りを始めたのは1963年(昭和38年)といいますから、私が5歳のときです。海底の土砂は沼を埋めるのに用いたそうです。新しい話です。
 今では苫小牧港は、国内の貨物取扱量は日本一なのだそうです。王子製紙の新聞紙だけでなく、北海道の農産物は苫小牧港から東京、名古屋方面に運ばれています。またトヨタトランスミッションを造る工場があって、毎週名古屋方面に出かけていくみたいです。

高砂町

 昨日の雨模様と打って変わって、今朝は気持ちの良い真っ青な青空の下、高砂町という海のそばを歩いてきました。海のそばのアパートは、鉄の階段とベランダは錆びていて抜け落ちそうで、怖かったりします。
 また、カラスが騒いでいましたから、急いで例のカラス撃退目玉を頭に装着しました。そうしたら、五時過ぎなのに、おばちゃんがゴミ出しに出てきたので、慌ててカラス撃退目玉を外して「おはようございます!双葉町の教会の牧師です。ぼくが書いたので読んでください。」とあいさつしました。そうしたら、「はい」と受け取ってくださって、ゴミ収集場に歩いて行かれました。ごみと一緒にされるかなあと思って、見送っていたら、少し読んでエプロンのポケットに入れてくれました。感謝。

 高砂町といえば、
高砂の尾上の桜咲きにけり・・・」
 とか
高砂やこの浦舟に帆を上げて・・・」
 とかを思い出しますが、なんなんでしょうね。ぼくは神戸ですが、西隣が明石で、その向こうに高砂市があったと思います。さらに向こうは姫路かな。あいまいです。誰が、苫小牧で太平洋に臨む一角に高砂町という名を付けたんでしょうね。

 

追記 「高砂の尾上」というのは、高い山の頂の桜という意味なんだそうで、播磨の国とは無関係。「高砂や・・・」のほうは、播磨の高砂だそうです。

 

いわゆる現代神学について

 いわゆる現代神学は、現代的課題への対応、または現代思想を聖書解釈に応用するということをします。それは結局は、古代においてグノーシス派がギリシャ思想で聖書を読もうとして陥ったのと同じように、一種のシンクレティズムになってしまうのではないかと思います。
 ヘーゲル弁証法を古代キリスト教成立にあてはめて各書の成立年代を推測したり、宗教進化論を旧約聖書解釈の枠組みとしたり、実存哲学の考え方をベースに聖書を解釈したり、マルクス主義を聖書解釈に適用したり、と。
 これらはまあ自覚的にやっているので、その問題点がわかりやすいわけですが、現代人にわかりにくいのは無自覚に実証主義を聖書解釈に適用した場合です。実証主義というのは「知識の対象を経験的事実に限り、その背後に超経験的実在を認めない立場。 超越的思弁を排し、近代自然科学の方法を範とする。」(コトバンク)です。なぜ実証主義は自覚しにくいかというと、現代人は実証主義に首まで浸って生活していて洗脳されているからです。
 近年流行しているパウロを1世紀のユダヤ教に還元しようとする学者たち、創世記の創造記事を古代カナンの神話に還元しようとする(還元しないまでも色眼鏡を掛けてみる)学者たちの研究がそれです。もちろん神は真空中に啓示を与えたのでなく、ある文化の中にその文化の中で暮らす人々にわかることばで啓示を与えましたから、同時代の文化を参照することは有益なことがあります。しかし、それはいわば器であって、その器に神のメッセージを入れて渡してくださいました。だから、聖書執筆当時の文化との類似性よりも、むしろ、区別性にこそ注目すべきです。ほかの言い方をすれば、文化ではなく聖書が物差しなのだということです。

海鳴り

 けさも海の近くの町を歩きましたが、風が強くてゴーゴーと海鳴りがすごい朝でした。海のそばに住むと穏やかな日は眺めがいいでしょうが、こういう日もしばしばでしょうね。でも、海が好きな人というのは、海鳴りだって好きなのでしょうね。

 

海のそばを歩く

 今朝は3時半ころからもう明るくなって来ていました。あまり早く起きると、昼間眠くなって仕事にならないので、4時半まで我慢して、それから起き上がって海の方に出かけ、浜町からスタートして、元町へと海沿いの路地を歩きながら「通信」を配りました。内容はヨハネ3章16節「良い知らせ」です。

 配っていたら、「nonびり~の」というコーヒーとピッツァの店を見つけました。なんとも素敵なお店です。今度、家内を連れて来なくちゃと思わせる店でした。さらにテクテク歩いていくと中央禅院という結構大きな境内の裏に出て、さらに進んで家並みが切れるところまで行って、左に折れて右手に太平洋を見ながら遊歩道を戻ってきました。お天気がよくて最高の眺め。釣り人が出ていました。苫小牧の砂浜はまだまだずっと続いていきます。楽しみです。

すべての造られた者に

エスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15

 「苫小牧通信」の折込み配布毎月1万枚は、こちらに赴任してから続けてきたのですが、90800戸には遠く届きません。それで、何かこう「すべての造られた者に」というのにお答えしていないなあという不全感がありました。それで、新聞折込をしていない地域に、昨年4月から11月、雨の日以外、朝飯前に足で配りました。地図で見ると四分の一ほど配ったでしょうか。そして、今年も寒さが緩んできた4月に再開しました。
 新聞折込の場合、ズバリ福音!という記事を書くと、「宗教と政治はダメ」というルールに引っかかって折り込んでもらえませんから、題名と最初の文章は一般的な内容を書くように工夫しなければなりません。たとえば、「安全カボチャ切り器」「かわやの話」「ご卒業おめでとう」「狭き門」「滑り止め」などという題で、なんとかみことばにこじつけていくわけです。でも、自分で配るのであれば、遠慮なしに伝えたい福音をズバリ伝えることができます。今配っているのはヨハネ福音書3章16節の解説文です。
 足で配って気づいたのは、新聞を取る家がほんとに少なくなっているなあということです。インターネットとTVニュースで十分だという人が多くなったのと、新自由主義経済政策=貧富格差拡大政策によって新聞を取る余裕のある家が少なくなったからでしょう。新聞を取っている家は、経済的余裕のある高齢者の家だけという感じです。ですから、そうでない家に福音を届けようと思ったら、自分で配るしかありません。共働きで昼は家に誰もいませんし。でも、新聞がポスト入っていないと、「苫小牧通信」を入れやすいので助かります。
 昨年は一人で配ってましたが、自分も配りたいという3人出てきたので、ときどき昼に一緒に配ったり、地域を分担したりしています。家内に言わせると、「福音の通信を配っていると、精神衛生上、良い」とのこと。わかるなあ、という感じ。それに、いっしょに配ると独りで配るよりも楽しい。
 副産物としては、毎日1時間ほど歩くと腰をはじめ体によいということ。それに折込だと一枚3円かかりますが、手配りならばタダです。タダで、福音が伝えられて、健康によくて、楽しかったら、こんなにいいことありません。

海のそばの町へ

 苫小牧市新明町、明野新町、新開町と新しい住宅街を配り終えました。教会のY姉はそのさらに東の新興住宅街に配りたいというので、私は今朝から海の方の古い町に配り始めました。海のそばの住宅地域は、東から汐見町、高砂町、望洋町、浜町、元町、有明町と続いています。いかにも海のそばの町名でしょう。T先生がお住まいのある汐見町に配りたいとおっしゃるので、私は浜町から始めました。ちょっと古い町で、道がくねくねしていて、海が見えて、碁盤の目に整えられた住宅街よりずっと面白い。
 足で配ってみると、歩いていけばどこまでも行けるもんだなあということです。竜馬は日本国中歩き回ってたなあと若い日に読んだ『竜馬がゆく』を思い出しました。
 目標は、苫小牧の9万800世帯全戸に「良い知らせ」を足で届けることです。