苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

北海道聖書学院でカテキズムクラス

 昨年から北海道聖書学院でカテキズム(教理問答)のクラスを始めました。担当は私です。この春学期のカテキズムのクラスは、本科生5名、聴講生5名、遠隔地受講者5名で、15名。木曜日に最初のクラスをしました。カテキズム略史、序論、聖書まで。わずか9回のクラスで、「神のご計画の全体」を見るというのは乱暴といえば乱暴なのですが、「鳥瞰的」というのは、そういうことです。

 今日、教理と聖書とを対立的なものとして見る風潮があります。その理由は少なくとも三つあると思います。第一は、17世紀の正統主義に対する敬虔主義的な反動です。正統主義時代の教理一本鎗式の説教の頭でっかちさにへきえきした敬虔な集いの人々が、聖書そのものを味わおうということで始まったのが敬虔主義運動で、福音派の直接的ルーツはここにあるのです。第二は18世紀以来の近代聖書学は聖書全巻に聖霊による統一性があることを認めないことです。近代聖書学者の前提は合理主義ですから、啓示ということを認めないのです。そういう人々にとっては、聖書は66巻の古文書ですから、そこに統一性があるとは思えないわけです。第三に、近代聖書学に携わった人々は教会という文脈から遊離した大学の研究者でしたからから、教会のことばである教理を軽んじるからです。

 けれども、教会に仕える古代教父と宗教改革者にとって、教理と聖書は一つでした。少なくとも一つであるべきものでした。カテキズムは聖書のエッセンスであり、聖書という森を迷子にならず歩むための地図です。カルヴァンの『キリスト教綱要』もまたカテキズムであって、彼はその序文で、これを神のことばを読むための備えとして書いたと言明しています。聖書とカテキズムの緊密な関係は、その引証聖句に表現されています。

 とはいえ、プロテスタントのカテキズムの集大成とも言える17世紀の『ウェストミンスター信仰基準』であっても、当時のヨーロッパでローマ教会と他派プロテスタントを意識して書かれたという時代的制約があります。いくつか欠けた点を挙げてみます。第一に、18世紀の啓蒙主義神学、19世紀以降の自由主義神学・近代聖書学、20世紀の弁証法神学などには対応していないということです。当然のことですね。第二に、当時のプロテスタント教会は世界宣教の使命感がほぼ無かったことです。第三に、近代聖書学の成果である「実現した終末論」を知らなかったことです。第四に、18世紀末から国家の世俗化と近代国民国家いう事態を知らなかったこと。第五に、20世紀末から21世紀にかけてクローズアップされてきた環境問題にも対応していないことです。第六に、キリスト教社会を前提としているので異教に対する弁証が弱いということです。

 このクラスでは大筋は宗教改革の成果を土台としつつ、新たにカテキズムを用意することにしました。理由の一つは上記6点をも視野に入れるためであり、もう一つの理由は、伝統的カテキズムを扱うと、その歴史的背景の説明だけで時間不足に陥るからです。とはいえ、オリジナルなものを目指すつもりはないので、歴史上のカテキズムの中で、これが最善と思わる問答があれば、それをそのまま紹介する場合もあります。

 

苫小牧 ふるさと海岸

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  ワタリガニ

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  朝6時すぎに次々に大きな船が出港します。

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お土産

  今朝は6時前に起きて、「ふるさと海岸」まで散歩してきました。片道30分です。苫小牧は森も海もあって、よいところです。お土産に白い石と平らな石をもって帰ったら、「おもちみたい」と家内。

故郷の花見

 苫小牧で桜がさくのはまだ一か月ほど先なので、幼い日に過ごした神戸市の須磨寺町の桜の風景写真を集めてみました。小学校4年生まで住んでいたのは、神戸市の須磨寺町3丁目16番地でした。桜の名所で、目の前にある大池の周囲が桜並木になっていました。春になると、たくさんの花見客が家の前を通っていました。きれいな所に住んでいたのだなあと改めて思います。私が眺めのよいところでないと暮らしていてつらくなるのは、幼いころにこういう場所で暮らしたからかもしれません。

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出典 

須磨寺の桜(兵庫県神戸市):近畿農政局

須磨寺の桜の開花・見頃情報 花見特集 2021 | ゼンリンいつもNAVI

神戸市・須磨寺大池 2011.04.13 - hasyan の 旅の散歩道







抱負

 フェイスブックで多くの方々から、誕生日のお祝いの言葉、祝福のことばをいただきました。ありがとうございます。今年は、それが主の復活日と重なったので、「しゅはよみがえりました」「しゅうじはうまれました」とおっさんらしくダジャレを言っております。

 63歳といっても、それにふさわしい内実の欠く未熟者ですが、神様が用意してくださる道を踏みしめていきたいと思っています。

 抱負は何かと聞かれたので、一つは『新・神を愛するための神学講座』が出版されて、その本が書名にふさわしい働きをしてくれたらということ。もう一つは北海道聖書学院の神学教育をオンラインをもちいて、諸教会・兄弟姉妹に益をもたらす形に構築して、すそ野を広げることができるようにしたいということ。そして、足元の苫小牧福音教会では、コロナ禍の中でもあきらめずにコロナ禍の中だからこそできる伝道を展開していきたいということです。

真空飛び膝蹴り→宇宙飛び膝蹴り

 「キックの鬼沢村忠さんが亡くなったと、今朝のニュースで見ました。私が小学校高学年のころ、キックボクシングがブームで、沢村忠さんは突出したヒーローで、その反省を描いたアニメまで放映されていました。沢村さんの必殺技に「真空飛び膝蹴り」というのがありました。そのことで思い出したことがありますので、少しメモします。

 なぜ「真空飛び膝蹴り」という名前になったのか。あのマンガで言っていましたが、沢村がジャンプしてただ固定した膝を相手に当てに行くのではなく、空中で「真空になったように」一瞬静止して膝をグイン!と動かして相手のあごに当てるのを見て、「真空飛び膝蹴り」という名前をつけたと言っていました。
 しかし、真空になっても空中で静止するわけはありません。無重力になると空中で静止できるわけです。イメージとして、宇宙の無重力空間が真空なので、こんなネーミングになったわけですが、地球の引力圏外に出た宇宙船の中は、空気があっても無重力状態です。したがって、正しくは「無重力飛び膝蹴り」か「宇宙飛び膝蹴り」と命名すべき所でした。
 この件で、50年くらい前、亡き父と議論したことを思い出してしまいました。亡き父も、真空と無重力を混同している人でした。昔、直接間接にお世話になった人たちの訃報を聞くことが多い年齢になってしまいました。

多様性と統一性と時間性

 プラトンアリストテレスは多様性と統一性をめぐって、その議論を展開した。だが、彼らに欠けていたのは時間性である。創世記における万物の創造のわざを見ると、そこには、多様性と統一性に加えて、時間性があることに気づく。つまり、神は世界を段階的に創造したという点である。多様性と統一性に時間性が加えられて初めて、事物を具体的に把握することができるといえるのではないか。