苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

渡辺信夫先生天に召される

 3月27日、渡辺信夫先生が天に召されたそうです。先生との出会いは、最初は大学時代で確か清水書院の人と思想シリーズの『カルヴァン』という本であったように記憶します。その後、『教会論入門』。訳書『基督教綱要』旧版。『カルヴァンの教会論』・・・
 そして、たしか日曜日訴訟の関連の集まりだったような気がするのですが、同じ宿の部屋に泊まってお話する機会がありました。それが先生の声咳に接した最初でした。
 その後、信州夏期宣教講座でのお交わりをたびたび許されました。ああ、そうそう、東京告白教会でもようされた、教理史講義にも2,3度出かけてお邪魔しました。教理史講義では、先生の静かな、そして長く長く長ーいお話に眠り込んでしまい、眠り込んだにもかかわらず、どうしても質問したことがあって、お話が終わったとたんに、「はい!」と手を挙げて質問をしたことがありました。先生は眉一つ動かさず、静かにお答えくださいました。帰りの車中、一緒に出掛けた小寺先生や菅原先生から、「水草せんせー、心臓に毛が生えてるなあ。」と笑われました。
 先生は誰もが知る我が国におけるカルヴァン研究の第一人者でしたし、よくもまあこんなに本を読んでいらしたんだなあとびっくりするような碩学でいらっしゃいましたが、それは先生が伝道者・牧師として世に遣わされた使命を果たすための道具立てのためであって、目的ではありませんでした。先生は基本的人権、格別、信教の自由にかかわる多くの訴訟にもかかわってこられましたが、それは人権のためでなく(と言いすぎないことも大事ですが)、先生の信仰告白としての行動であったのだと思います。
 いっしょにあの信州の霊泉寺温泉に浸りながら、いろいろと聖書の話をしたことは楽しい思い出です。また、ある年の沖縄をテーマにした夏期宣教講座のとき、旅館の離れの集会室で、最後に参加者の集合記念写真を撮った時、床がその重量に耐えかねて抜けてしまい、危うく先生ご夫妻が穴に落ち込みそうになった出来事が、今も目に浮かんでしまいます。
 向こうに行かれたら、先生は義の栄冠を受けて、カルヴァンやルターとラテン語でお話なさっているのでしょうか。またお目にかかれることを楽しみにして、私なりに一生懸命、この道を最後まで走りとおしたいと思います。