苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

初日の出を見たら

彼ら は 主 の 神殿 に 背 を 向け、 顔 を 東 の 方 に 向け て い た。 東 の 方 を 向い て、 太陽 を 拝ん で い た。(エゼキエル書8章16節)

 お正月に旧約聖書エゼキエル書を読んでいます。エゼキエルは紀元前6世紀の預言者で、バビロン捕囚に遭っているユダの民に、神の民に対する神の裁きの警告を告げます。このあと太陽を神のように拝む民に、恐るべきさばきが下ります。古代イスラエルの世界にも、太陽は魅惑的だったのですね。古代エジプトでファラオは太陽の神の息子とされ、日本では天照大神は太陽神とされてきました。
 まことの神は万物の創造主のみであり、太陽もまた神の作品です。神は、太陽を私たち地球に住む者にとって、時計として灯(あかり)としてストーブとして与えてくださいました。
 闇夜の道で難渋していて、提灯を貸してくれる人がいたら、その人に「ありがとう」と頭を下げるのが道理でしょう。その人に背を向けて、提灯に「ありがとう」と頭を下げるのはおかしな話。同様に、初日の出を見たら太陽を拝むのはおかしな話で、太陽を貸して下さっている創造主なる神にこそ感謝するのが道理です。・・・という譬えを小畑進先生がクラスでしていたことを思い出しました。
 初日の出を見たら、太陽を造り、これを貸して下さっている創造主なる神をこそ崇めたいものです。この道理を、今年もこの国と世界の人たちに伝えてまいります。