苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

NPPの方法論の正当性と注意点

 使徒パウロの書簡を解釈するにあたって、回心前のパウロ(当時はサウロ)が信じていたユダヤ教文献が参考になるというのは、当然のことです。そういう方法をNPPが提唱したことは間違っていません。では、NPPがそうしたことを提唱する前、18世紀から20世紀前半の聖書学や神学はどういう方法で聖書を解釈していたかというと、18世紀から20世紀前半に流行していた哲学者の思想の枠組みでもって聖書を解釈していました。(17世紀までは基本的に聖書自体で聖書を解釈することを方法論としていました。今日にいたるまで保守的な聖書解釈はそれが基本です。聖書66巻全体が神の啓示であると信じているからです。)

 K.F.ヴィスロフは、「(自由主義の)神学者たち は、聖書ではなく、何らかの哲学思想を自らの出発点としはじめた。哲学的な用語を用いるなら ば、彼らのアプリオリ(経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念)は、この世の哲学となったのである。へーゲルやカントが、彼らの出発点となる。それはもはや論議無用の出発点、前提となるのである。」と言っていますが、その通りです。たとえば、シュライエルマッハーはカントの認識論を前提として神学を構築しました。また、聖書学においてもヘーゲル弁証法テュービンゲン学派の仮説の前提でした。旧約学には進化思想が色濃く影響しています。また、前期バルトは色濃くキルケゴールの影響を受けていますし、ブルトマンの実存論的解釈はハイデガーの影響を色濃く受けています。

 それに比べれば、回心前のパウロが信じていたユダヤ教の文献を参照することが、回心後、パウロが神の啓示を受けて書いた手紙を理解する上で「参考になる」と想定することは、まっとうなことです。回心したとはいえ、また、啓示を受けたとはいえ、回心前と回心後のパウロは同一人物であるからです。

 しかし、NPP的な方法を取る人が心を留めておかなければならないのは、回心前と回心後で、パウロの思想は大きく変化したという事実です。なにしろ、もともとキリスト教迫害の急先鋒であった人が、過激なまでのキリスト教伝道者になったのですから、同じことを言っているわけがないのです。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(2コリント5:17)とパウロ自身が言っています。また、パウロはガラテヤ書で「兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」(ガラテヤ1:11,12)とも言っています。したがって、パウロが回心前に属していたユダヤ教の文献はパウロ理解の手がかりの一つにはなるけれども、それとの表面的類似からパウロを理解しようとするのは的外れであって、むしろ、ユダヤ教との本質的相違に注目してこそ、パウロの手紙を正しく理解したことになるのです。本質的相違がもしなかったなら、どうしてパウロユダヤ教と訣別、対立し、文字通りいのちがけでキリストの福音を宣べ伝えなければならなかったかわからなくなってしまいます。