苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「美しい国」とは格差社会を意味する

 国会である野党の質問者が、ケイマン諸島内部留保430兆円している大企業にせめて中小企業並みに法人税を課し、莫大な所得を得ている富裕層に収入に見合った課税をすれば、年金の底上げの資金源となるという趣旨の提案をしたところ、首相は「それはまったく馬鹿げた政策、まちがった政策である」と断言する映像を見た。まったく庶民の貧困をなんとかしようという意志の見られない発言だった。

その映像はこちら。400万回以上再生されています。

https://www.youtube.com/watch?v=j2fzD3-T32I

 前々から不思議だったのは、現政権の行なっている格差拡大政策のゆえに、まともに食事すらできなくされた子どもたちのために、見るに見かねた民間のボランティアが子ども食堂を始めたりしていることを、首相や副首相がまるで恥じているようすがないということだった。恥じるどころか、政府はカネを出さず、そういう貧乏人の助け合い社会を推進するというのが、「地域共生社会」というきれいな名まえの政策だそうである。ともに生きる社会が素晴らしいことはいうまでもないが、その実際の目的は貧困対策に政府は金をださないことであるというのだから、根本的な価値観のズレを感じて理解できなかった。

 それでようやく気づいたのだが、首相がしきりに唱えていた「美しい国」のことである。それは基本的人権尊重・国民主権・平和主義を基本理念とする日本国憲法に代表される戦後レジームを捨てて、戦前のアンシャンレジームに戻ろうということである。経済面でいえば、戦後、日本国憲法のもと、財閥が解体され、農地改革で大地主が土地を奪われ没落する前の社会を意味している。首相や副首相の祖父、祖母たちが所属していた特権階級が、特権を奪われる前の社会である。現在、こうした貧富の格差をどんどん大きくして、ごく少数の特権富裕層と大多数の貧乏人の社会へ向かってこの国を後退させているのが現政権下の政治であるが、それこそが首相の理想とする「美しい国」の姿なのである。首相が敬慕してやまない祖父岸信介は、反共産主義の指導者であった。

 ごく少数の特権富裕層と、大多数の貧乏人の格差社会こそ理想だとすれば、冒頭に書いた質問者が大企業・富裕層に、その収入に見合った課税をして社会を潤そうではないかという提案は、たしかに「愚かな政策、間違った政策」であるにちがいない。首相の爺さんの毛嫌いしてやまなかった共産主義的政策なのである。そんなことをすれば、首相の目指している「美しい国」ではなくなってしまう。ごく少数の富裕層からすれば、すばらしい指導者を得たものである。しかし、大多数の庶民からすれば、とんでもない指導者を得たものである。

 けさニュースで、首相は「憲法改正は令和新時代に実現すべき理想社会を目指すものである」と発言していたが、首相の理想とする「美しい国」はわずかな富裕層と大多数の貧困層からなる社会であることを、私たちは理解しておく必要がある。

 

<追記>

 では、聖書は共産主義と資本主義(市場原理主義)について、なんと教えているのか。実は、どちらかが絶対正しいとは教えていない。要はバランスが肝心。今の政権の政策は経団連のご機嫌ばかり取って、そのバランスを欠いているのである。それについては、こちらをどうぞ。
http://koumichristchurch.hatenablog.jp/entry/20140205/p1