苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大魚が預言者ヨナを吐き出したわけ

 子どもたちが大好きな旧約聖書の話に預言者ヨナの話があります。神様はヨナにアッシリヤの都ニネベに行って、滅びを告げよと命じました。けれども、ヨナは自分がニネベに警告したら、ニネベの連中は悔い改めて、神様がゆるしてしまうのではないかと思ったので行きたくありません。というのはアッシリヤという国は悪逆非道にも、ヨナの母国イスラエルをいじめている国だったからです。それで、反対方向タルシシュに行く船に乗ってしまいます。ところが、嵐がその船を襲いました。ヨナは自分が神に背いたからだとわかっていたので、そのわけを同乗している人々に告げて、自分を海に投げ捨ててもらいます。すると、巨大な魚がヨナを噛まないでパクリと呑み込みました。ここまでが1章。

 2章になると、ヨナは胃液で消化されそうになりながら、しおらしく悔い改めの祈りをささげます。すると、魚はヨナを吐き出しました。

 3章になると、ヨナはやむなくニネベに神の怒りがくだるぞ!と告げて回ります。するとなんとニネベの連中は王から庶民までどころか家畜まで悔い改めました。

 すると、4章で、神は心を変えてニネベを赦してしまいます。と、ヨナは不機嫌になりました。二ネベが神に打たれなかったからです。また、自分の預言が外れてプライドが傷つけられたからでもありましょう。

 ヨナの2章の祈りはなんだったのか?と昔、旧約学のK先生に質問されました。たしかに2章は言葉としては悔い改めて救われた感謝に見えます。けれども、3章、4章の展開を見ると、ヨナは相変わらず自己中心で、悔い改めた様子は見えません。

「主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた」(2:10)ということばに注目しましょう。「吐き出す」ということばは、ヘブル語で「コ」ということばで、レビ記18:25、28、箴言23:8などに使われていて、オエッという感じで吐き出すことを意味するのです。つまり、2章におけるヨナの「悔い改めの祈り」は、口先だけの心を伴わない祈りだったので、気持ち悪くてお魚はヨナをオエーッと吐き出したのでした。K先生の説明になるほどー、と膝を打ちました。

 

 ヨナという預言者、ヨナ書は、他の預言書に比べるてたいへんユニークで、ユーモアに満ちた本です。