苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「新・神を愛するための神学講座」の第2回「啓示について」

ハレルヤ、感謝します。苫小牧、今朝は青空が見えています。気温18.4度です。
「新・神を愛するための神学講座」の第2回「啓示について」を載せていただいた『舟の右側』7月号が届きました。
アウトラインは次の通り

1.啓示は必要不可欠
2.被造物啓示(一般啓示)
3.「自然神学」について
4.被造物啓示の役割
5.特別啓示とその保存

 自然啓示ということばが神学では伝統的に使われてきたのですが、「自然」(おのずからしかり)という概念は多神教や汎神論に由来するもので、聖書的でない概念です。この非聖書的概念を放置した結果、かつてのヒトラーの時代のドイツ的キリスト者運動があったとも言えます。
 では、現代、自然理性はどういう誤りを神学に持ち込もうとしているのでしょうか?・・・・という内容。
 それで、被造物啓示という耳慣れない用語をあえて用いることを提案しています。関心があればどうぞ。今回は友人たち3人の記事も載っています。キリスト教界は狭いなあ。広くしなくちゃ、ですね。こちらから注文できます。CMでした。
http://www.jibikiami-book.jp/?pid=132793529


旧『神を愛するための神学講座』について
 「新・神を愛するための神学講座」というのは、『神を愛するための神学講座』があるからです。1991年32歳のとき、大学院でアウグスティヌスの勉強に一応区切りをつけた私に基督神学校同期の友人山口陽一先生が、水草に勉強の機会をと配慮してくださって、1年間にわたって彼が牧する徳丸町キリスト教会の夕礼拝で月に一度教理説教をさせてくださいました。1年間のレジュメを束ねたB6の水色の表紙の小さなパンフレットが、最初の『神を愛するための神学講座』でした。
 それが思いがけずいろんな教会で用いていただけて、4回版を重ねるたびに増補しました。第3版まではリソグラフ印刷でしたが、2000年の第4版は大学時代にお世話になった土浦めぐみ教会の稲本印刷さんが、「めぐみ教会の教材として使うので製本します。千冊つくるので売上は小海の会堂建設に」と美しい装丁にして献げてくださいました。それで、初めてキリスト教書店で扱ってもらうことにしましたが数年でなくなってしまって、ずっと絶版のままでした。「もう手に入りませんか?」という問い合わせをあちらこちらから何度かいただきました。そこでHPにアップして、「ダウンロード、プリントアウトして読んでください」とお願いしてきました。
 というわけで、『神を愛するための神学講座』は小さな本ですが私にとっては、友情や兄弟姉妹の愛がしみ込んでいるような特別な本です。北海道に来て、いくつかの教会であの本を信徒の時代に読みましたと言ってくださる牧師夫妻がいたりして、びっくりしました。「神様が書かせてくださったのよ」と妻が言いますが、そうなのだろうと思います。
 ここに置いてあります。
https://moriaogael.wixsite.com/tolovegod/about-me

 今回、『新』を書き始めたのは、旧版が出てから、この18年間、聖書から教えられてきたことを加えて、新しい構想のもとに稿を起こしていく準備ができたかなとやっと思えたからです。「新しい構想」というのは、「首尾一貫してキリスト論的に」ということです。また、そろそろ神様からお呼びがかかる年齢にもなったので、神様の恵みをまとめておくべきかと思ったからです。これも神様が書かせてくださらないと、きっと書き上げることはできないのだと、今、この文章を書きながら思いました。ちゃんと題名にふさわしいものが書けるように、祈りながら書いていきたいと思います。