苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

悪魔のイエスに対する振る舞いの一見矛盾した点

 悪魔はイエスが人として世に生まれた時、ヘロデ大王を用いて殺そうとしました(黙示12章)。公生涯の始まりのとき、40日の試みでは世的成功と引き換えに悪魔を拝むように誘惑しました(マタイ4章)。イエスがご自分の死を予告すると、ペテロを用いて、いさめました(マタイ16章)。イスカリオテ・ユダに入ってイエスを裏切らせ、十字架刑に追いやりました(ヨハネ13:27)。
 表面的に見ると、悪魔はある時はイエスを殺そうとしたり、ある時はイエスの受難を阻んだりしていて、いったいどっちなのかと、矛盾して見えます。しかし、イエスの受難を阻もうとしたときも、悪魔はイエスの十字架刑の贖罪的目的を知っていたわけではありません。それは世が始まる前に定められた掟であり、神以外知る者はありませんでしたから(1コリント2:6-9)。

 次のように理解することができます。イエスが生きるなら悪魔の手下として利用価値ある世的な生き方をさせたい。だが、それがかなわないならば、殺してしまおう。・・・こういうことだと思います。