苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書信仰を受け取って―恩師たちとの出会い

2テモテ3:14-15

 2018年 MBC研修会 開会礼拝

 

3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、 3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

 

序 「聖書信仰と教会形成」というテーマでの秋の研修会。講演と、開会礼拝の二回お話をする時間をいただきました。ここでは、みことばを説き明かし、かつ、神様が誰をとおして私に聖書信仰を受け取らせてくださったのかを証します。

 

1 その信仰は誰から学んだのか

 

 聖書の個所は、第一に、「あなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知って」いるからだと勧めています。信仰は神と私の関係ですが、ある人からある人へと受け渡される伝統という側面もあるのですね。⒕節から15節前半。テモテは幼いころから、ユダヤ人である母ユニケと祖母ロイスからまことの神様への信仰を学んだのです。お父さんの影がまったく見えないのですが、父親はギリシャ人であったろう、と注解者はいいます。

2テモテ1:5 「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」

 さらに、青年期になったとき使徒パウロとの出会いが与えられて、テモテはパウロから旧約聖書の成就である福音を受け取ったのでした。そして、パウロから按手を受けて彼のうちに御霊の賜物が注がれたのでした。

1:6「それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」

 このようにテモテは、幼い日から祖母ロイス、母ユニケからまことの造り主であられる神への信仰を継承しました。そして、青年期になって、使徒パウロとの出会いがあって、それから、その神が遣わされた御子イエスへの信仰を継承したのです。

 第一は、信仰は人格をとおして伝えられるのだということです。単なる情報伝達のようなことであれば、教科書を与えて「それを読んでおきなさい」といえばすむかもしれません。けれども、信仰にかかわる真理は人格的な真理です。人格的な神様が私たちを愛していてくださるというメッセージは、真実な人格関係を通して伝えられます。祖母ロイスが、母ユニケがどれほどわが孫、わが子であるテモテを愛し慈しんで、陰で祈ってきたことでしょうか。「この子が神様を愛し畏れる人として成長しますように」と、祖母と母の祈りがあったのです。そして、青年期にパウロ先生との出会いがあって、「信仰による我が子テモテ」と呼んだほどに、パウロの熱心なテモテへの愛があって、信仰の真理は伝わったのです。信仰の真理は、人格から人格へと伝わるものです。

 

(1)増永俊雄牧師

  高校三年生の秋、身近な人の突然の死という出来事をきっかけとして、わたしは自分の罪、人生の目的ということを考えざるを得なくなりました。当時、私は国文学者を志していたんですが、なんのために大学になど行こうとしているのか、何のために生きていくのか・・・と。考えてみれば、結局は単なる自己満足のためという答えしか思いつかず、生きるということは、なんとむなしいことだろうと思いいたりました。浪人生活が始まり、クリスチャンの友人の紹介で増永俊雄牧師と会うことになりました。ツクツクボウシが鳴いている夏の終わり、蒸し暑い日でした。

 増永牧師にお目にかかって、三つ印象に残ったことがありました。第一は、私が魔女狩りだとか十字軍だとか教会が犯してきた恐るべき罪について、どう考えているのか?という詰問したことに対して、先生は「その通り、私どもはそれほどに罪深いものです、ただ神の前に罪を認めて告白する以外ありません。」とおっしゃったことです。

 第2は、先生が「私の人生の目的は、神の栄光をあらわすことにあります。私がイエスキリストを信じるのも、神の栄光を現わすためです」とおっしゃったことです。私は、それまで宗教とか信仰というのは、自分の願いを安易な方法でかなえてほしいと願う、卑しい人間のすることであるという偏見を持っていましたが、キリストを信じる信仰とはそういうものではないと初めて知りました。

 そして、第3は、私が用意していった質問に対して、先生はことごとく「聖書にこう書いてあります」と答えたり、「聖書に書かれていないことなので、わかりません」とおっしゃったことです。私は内心「この人は自分の意見というものがないのか」と半ば呆れながらも、「この人は本当に聖書が神のことばであると信じているのだ」という強い印象を受け取りました。私はこのようにして、「聖書は神のことばである」という信仰を増永俊雄牧師から受け取ったのです。あれから40年近くたち、聖書を何度読み返したか数えられませんが、私は今日に至るまで聖書は一言一句神のことばであるという信仰を、受け取ることができたことは素晴らしい宝だった、と心から感謝しています。

 

 私は、この出会いから5か月後の19781月に教会の礼拝に通い始めました。そしてイエス様を神の御子、救い主と信じ受け容れたのです。その3か月後には大学進学のために、茨城県に転じましたが、私は聖書を通読しつつ疑問に思ったことを毎週便せん5枚ほどの手紙にして先生に送り、先生はそれに返事をくださいました。この手紙のやり取りは1年近く続きました。 

 聖書信仰というのは、単なる形式上の信仰箇条ではなく、神を信じるキリスト者の人格とその生き方を通して、いのちあるものとして継承されるものです。父と子と聖霊である三位一体の神は、三つの人格の愛の交わりでいらっしゃるので、敬虔な人格とのふれあいを通して、信仰が伝えられることを望まれるのです。みことばを信じ、みことばを生きる人との出会いを通して、聖書は神の言葉なのだという真理が伝えられるのです。

 

2 聖書に結びつける

 

 テモテが幼い日から祖母と母から受け取った信仰、そして、青年期にいたって、恩師パウロから受け取った信仰は、人格を通して与えられたものです。しかし、テモテの信仰は祖母、母、そしてパウロと癒着したものではなく、聖書に根差すものであったということが尊いことです。

3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」

 母ユニケ、祖母ロイス、そして使徒パウロを通して、テモテは聖書信仰を受け取ったのですが、母も祖母もパウロも、テモテを自分に結び付けようとしたのではなく、聖書に結び付けたのです。使徒パウロは「信仰による我が子」とまでテモテを呼びましたけれども、テモテを「パウロ派」の一番弟子に育てるつもりなどさらさらありませんでした。テモテが、神の言葉である聖書に結びつくようにしたのです。「私はアポロにつく」「私はケパにつく」「私はパウロにつく」「私はルターに」「私はカルヴァンに」「私はウェスレーに」「わたしはバルトに」というふうな人々が昔から多いのです。パウロにとってもケパにとってもアポロにとっても迷惑な話でしょう。信仰は、人格から人格へと伝えられるものですが、それは聖書に根差しまことの神に結び付くものとならなければ、不健全な個人崇拝めいたものとなってしまいます。

 その意味で、神様がご摂理によって、私に出会わせてくださった恩師たちは、私を聖書にしっかり結び付けてくださったことを心から主に感謝しています。

 

(1)聖書的説教と自由主義の説教

 私は神戸の教会に通い始めてわずか3か月後には、神学のため茨城県つくば(昔は新治郡桜村)に転じました。増永先生はたいそう心配されました。もし自由主義神学に立つ牧師の教会に行ったならば、新生したばかりのわたしの信仰がおかしくなってしまうのではないか、という懸念をもっておられたのです。以前、大学進学のために神戸を離れて上京した先輩に、そのような人がいたそうです。私は大学に入って、すぐに近所の教会をさがしました。自転車で十分で行ける場所に三角屋根の新しい会堂が建っていました。日本における最大教派の教会でした。日曜日、その教会に出かけてみると、礼拝前の集いで使徒信条の学びをしていました。学びのリーダーが言いました。「『われはその一人子、われらの主イエスキリストを信ず』までははいいけれど、『主は聖霊によりて宿り、処女マリヤより生まれ』はとても信じられませんよね。」というのです。驚きました。さらに、礼拝に出ると、聖書が朗読されるところまでは同じでしたが、説教になると、牧師は朗読された聖書箇所とは何の関係もない社会時評をするだけでした。

 驚き、がっかりしました。「ああ、これが自由主義神学に立つ教会というものなのか」とわかりました。というのは、神戸の教会に通ったのはわずか3か月でしたが、そこで聞いた説教は、正確な釈義に基づいた聖書の説き明かしとしての説教だったので、すぐに違いがわかったのです。

 

(2)朝岡茂牧師のいのちがけの「麦飯的説教」

 その後、友人の白石君に紹介されて、土浦めぐみ教会に通うようになり、朝岡茂先生の説教を聞くことになりました。朝岡茂先生は、当時、マルコ伝、それからコリント人への手紙第一を連続で講解なさっていました。朝岡茂先生は、ご自分の説教を「麦飯的説教である」とおっしゃいました。その意味は、固くておいしくないところがあるけれど、滋養たっぷりであるから、しっかりかみしめて毎週聞き続けていれば、信仰の地力がついてくる説教であるという意味です。主観的な感動的な例話だらけの甘いお菓子みたいな説教ではなく、文脈を踏まえた聖書本文をきちんと説き明かす説教でした。ですから、先生の説教を聞いていると、聖書の読み方が身についてくるという説教でした。

 しかし、朝岡茂先生の説教は、知的であるだけでなく、豊かな喜びと情熱に満ちたいのちがけの説教でした。朝岡茂先生は十数年間結核療養生活をし、その絶望のどん底で神のことばに出会って救われたという方でした。人生の深い悲しみと喜びを知る大きな器で、非常に魅力的な方であり、雄弁な器でした。しかし、先生は、ご自分の雄弁に恃まず「コツコツとみことばを学ぶことが大事だ」ということをしばしば強調なさいました。先生の訣別説教は「神の声に聞く」でした。

 私は、神のことばは、これに命を懸けるに値することを、朝岡茂先生から学んだのです。

 

(3)ヘンリー・シーセン『組織神学』

 また当時、土浦めぐみ教会では主の日の夕拝として、夕方5時から2時間ほど、毎週ヘンリー・シーセン『組織神学』という分厚い神学書を3年間かけて読み通しました。朝岡茂先生は「入門書を読んで10割わかるよりも、本格的な本を読んで5割わかったほうが、実力が付く」というお考えをお持ちでした。シーセンは新約聖書学者であって教義学者ではありませんから、神学の論理的展開という意味ではいまひとつの本だなあと生意気に思っておりました。

 けれども、私は最近になって、シーセンに毎夕拝3年間取り組む中で、教理をどこまでも聖書を根拠として学ぶという姿勢をここで教えられたことに気づきました。彼はそれぞれの教理に関して、古代教父の説、中世ローマ教会の説、宗教改革者の説、近代の神学者の説を述べた後、「では聖書はなんと教えているでしょうか」と問うて、結論を出すという叙述の仕方をしていました。それが私のうちに叩き込まれたのでした。真理の源泉は聖書にあり、どこまでも聖書が真理の物差しです。その説が正しいかどうかは、その説を唱える学者が有名かどうかとか、現代の学界で流行しているかどうかではなく、その説がどれだけ聖書の教えにかなっているかどうかが肝心なことです。

 やはり、この夕拝は、私を聖書に結び付けたのです。

 

(3)津村俊夫先生の堅固な逐語霊感説

 伝道者として献身することを決心した私は、大学での専攻を国文学から哲学に切り替えました。神学の学びの備えのためです。教授たちのうちにはリベラルな神学を背景とした方たちが何人かいました。ある先生は同志社大学神学部出で、日本基督教団教師の資格をもつ方でブルトマンの実存論的聖書解釈とやらをクラスで開陳してみせるのです。また、カール・バルトの直弟子の小川圭治先生からはキルケゴールパウルティリッヒのことを学びました。こういう先生たちは、私が福音派のクリスチャンであると知ると、聖書観をめぐってシビアな議論をしかけてくることが、ままありました。

 そんな中で、私の支えとなったのは、めぐみ教会の信仰生活以外では、聖書研究会の顧問をしてくださっていた津村俊夫先生の堅固な聖書信仰でした。ある日、聖書研究会で私が担当して創世記第三章を読んだときのことです。私が、「蛇はサタンのことです」と私が簡単に説明すると、津村先生はおっしゃいました。「そうでしょうか。『さて神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇がいちばん狡猾であった。』とありますから、これは動物のへびであると書かれています。蛇イコールサタンではなく、サタンが蛇という動物を用いたと読むべきです。」聖書の一字一句を決しておろそかにしない聖書の読み方でした。世界水準のオリエント言語学の専門家である津村先生が、これほど厳格に逐語霊感説に生きておられるということは、強力な支えでした。

 

結び

 「あなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知って」いると使徒パウロは言いました。私は増永俊雄先生から聖書は神のことばであることを最初に心に打ち込まれ、朝岡茂先生から聖書はいのちを与え、いのちを賭けるに値する神のことばであることを学び、津村俊夫先生から聖書は一点一画神のことばであることを教えていただきました。これらの先生との出会いがなければ、私は救われることも聖書的な信仰を保ち続けることもできなかったのではないかと思います。説教と生き方をもって、先生方は、聖書に私を結び付けてくださいました。

 先生方から受けた聖書信仰を、私は次に続く方たちにお伝えすることが、自分の任務であると信じて、牧師として北海道聖書学院教師として労しております。