苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

わけわからんこと

4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。【主】はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。
4:25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」
4:26 そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。(出エジプト4:24−26)

 主は、ときどきわけわからんことをなさる。モーセを指導者として選びながら、派遣直前モーセを殺そうとされた。その意味はなにか?
 突然モーセが倒れ、苦しみ、死にそうになっている様子を見て、妻チッポラはすぐに「ああ、息子のことで主は怒っておられる」と悟った。彼女には思い当たるふしがあったのである。息子が生まれたとき、夫モーセは息子に、主がアブラハムの子孫に定めた割礼を施そうとしたが、ミデヤンの荒野に育った異民族チッポラは「そんなかわいそうなことはしたくない」と反対した。マスオさんという弱い立場のモーセとしては、あまり強くサザエさんにもの言うこともできず、息子を無割礼のままにしておいた。しかし、主の目から見れば、イスラエルの指導者として立つモーセが、自分の息子にはその民としてのしるしを与えていないということでは、どうにもならない。そこで、主はモーセを打ち、チッポラにおのが過ちを悟らせ息子に割礼を施させた。・・・こういうことだろうか。

──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──(1テモテ3:5)