苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

J.I.パッカー『十字架は何を実現したのかー懲罰的代理の論理』

  「罪人はいったい何から救われなければならないのか?」この問いに正しく答えられるかをさぐられるでしょうか。

  友人の長島勝君が翻訳した、J.I.パッカー『十字架は何を実現したのかー懲罰的代理の論理』(いのちのことば社)が、ついに出版となりました。アリスターマクグラスは『パッカー小論集』の解説において、この贖罪論はパッカーの最も優れた論文の一つであると、多くの神学者に評されていると書いています。
 小さな本ですが、聖書に啓示された福音の<周辺>ではなく、<核心>を正確に浮き彫りにする論文です。私は訳稿を1年ほどまえにあらかじめ見せていただいて、スカイプでやりとりしたので、今回、出版にようやくこぎつけたことを心から主に感謝しています。書評を依頼されたので、これからもう一度きちんと読もうと思います。訳者あとがきの末尾にしるされたパウロのことば。

「十字架のことばは、滅びにいたる人々には愚かであっても。救いを受ける私たちには、神の力です。」(1コリント1:18)

 罪人は、核心としては、神の怒りから救われなければならないのです。付随的にはサタンから、この世の誘惑から、もろもろの悲惨から救われるのですが、まずは神の怒りから救われ、神との交わりが回復してこそ、その他の救いがくっついてくるのです。