苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

股関節脱臼

32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。(創世記32:32,32)

 叔父ラバンと別れて、いよいよヤコブは約束の地に帰ってくる。難題は恐ろしい兄エサウとの再会である。ヤコブは再会に先だって、どこかの首相が宗主国の大統領にしたみたいに高級ゴルフクラブならぬ贈り物を次々にしてご機嫌をとってみたけれども、なお安心できなかった。不安を抱えたまま兄に会うことはできないので、ヤコブはあとに一人残った。
 すると、深夜、神はヤコブに現れ、彼と相撲を取った。ヤコブは神に祝福を熱烈に求め、勝負がなかなかつかない。神はヤコブの腰に触れ、ヤコブの股関節を脱臼させるが、それでも神にしがみついて祝福をくれと離れない。ついに神は、彼にイスラエルという祝福の名を与えた。神は去り、夜が明け、足を引きずるヤコブの上に日が昇った。
 ももは人間の筋肉の中で一番強い所である。神はそこに触れた。ヤコブの自我、ヤコブの知恵、ヤコブのもっとも得意とするところ。そこに神が触れ、彼は己の無力と罪を知り、そこで彼は神の祝福を受ける。神の人は、一番強いところを神に撃たれ、自信を失わなければならない。自信を失って、絶えず、神様これで大丈夫でしょうか、と祈りながら生きる人とならねばならない。