苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

127歳で

サラの一生、サラが生きた年数は127年であった。(創世記23章1節)

 サラがイサクを産んだのは90歳であったから、それから37年間サラは生きながらえて、子育ての責任も立派に果たし終えて、世を去ったということである。今日、初めて気が付いた。これだけの寿命があると、人生、じっくりと生きていくということになるのかもしれない。アダムからノアの時代のように900年間も寿命があると、かえって人の思いは悪いほうにばかり傾くようになってしまうのであろうが、逆に短すぎると焦ってつまらぬ生き方をするということもある。
 二十代に宮村先生に薦められて森有正を読んだが、彼の文章の中に、あたかも自分の寿命が永遠であるかのように考えて仕事をしてゆきたいという趣旨のことばがあった。正確に記憶していないから、自分流の解釈が入ってしまっているかもしれない。それはつまり、時間がないから間に合わせのやっつけ仕事でなく、永遠に残って価値ある仕事をしたいという意味だろう。
 自分でも信じがたいことだが、私はあと二年で還暦を迎えようとしていて、そろそろあと一仕事をどのようにやり遂げるかを考えねばならなくなっている。焦ってつまらぬ仕事をせぬように。神の前に、一日を一生のように。

「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(1コリント15:58)