苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

腐っても鯛、腐った鯛

そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。(創世記19章1節)

 ロトが町の門のところに座っていたのは、彼がすでにソドムの長老といった立場にあったことを意味しているのだろう(ルツ4:1,2参照)。実際、彼は町のごろつきのような人々から、よそ者の癖にさばきつかさのように振舞っている、とやっかみを買っている(9節)。おそらく先にメソポタミア連合軍がソドムを陥落させ、住民たちと財産をことごとく奪い去って行こうとしたときに、伯父のアブラハムのお陰で、ソドムの町の人々が助けられたことに対する報いとして、ロトはこの都市国家の王ベラから責任ある立場を任されたのであろう。すでに、あれから20年ほどたっているが、よそ者はよそ者なのである。
 また、神をまったく恐れることを知らないソドムの人々の無軌道な生活とひき比べるならば、まがりなりにも神を知っているロトは正しい人であった。たとえソドムのような町であっても、そこで起こる様々な争い事を治める長老という立場に置かれる人は、それなりの判断ができる人でなければならなかったから、ロトはこの務めについていたとも言える。旅人をもてなそうとする行動を見ても、ロトはたしかに正しい人だった。伯父のアブラムがそうするのをいつも彼は見ていたのだろう。
 だが、同時に、ロトは相当にソドムの影響を受けていた。ロトの人々が御使いを強姦しようとしてやってきたとき、彼は一生懸命に御使いを守ろうとしたのはいいが、その代わりに娘二人をなんとでもしてくれと叫んだり、今まさに町に滅びがせまっているのに逃げ出すことに躊躇したり、彼の娘たちは父を酔わせて犯すということをしたり、と胸がわるくなるようなソドム風のけがれが彼と彼の家族を侵食していた。ロトはたしかに腐っても鯛であったが、すでに相当に悪臭を放っていた。
 主は先の戦役を通して、ロトに警告を与えておられた。滅びの町ソドムを離れよ、と。だが彼は戦後もソドムにとどまり、顔役にまでなってしまっていたのである。

 たしかに、ロトはアブラハムのとりなし、そして神のあわれみのゆえに、ぎりぎりのところでソドムの火を逃れた。逃れたけれども、妻と、そこに積み蓄えた財産すべてを失ってしまった。

「愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移りかわりや、移り行く影はありません。」(ヤコブ1:17)