苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

いや、確かにあなたは笑った

18:1 【主】はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。 18:2 彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。(創世記18章1,2節)

 アブラハムは神からサラから生まれる実の息子から、跡取りが生まれるという約束をいただいたが、妻サラにはそのことを告げていなかったのか、それとも告げたけれども、妻はそれを受け入れられなかったのか、どちらかである。もう彼女は自分が子を宿すことのできなからだになっていることを知っていたのだから、アブラハム以上に、神のことばを受け入れがたかったのは当然といえば当然だった。
 そこで、主は、サラにも直にご自身の計画を告げるために、二人のみ使いとともに旅人の姿をして現れてくださった。なぜなら、イサクは御子イエスのように処女懐胎で生まれてくるわけでなく、この百歳と九十歳の老夫婦が懐胎の希望をもって交わることによってしか生まれてこないことだったからである。主も、ここまでサラの妊娠を引き延ばした責任を取って、彼女を説得に来られたというところ。 

18:12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」 18:13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。
18:14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
18:15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」

 15節の説得は、主とサラの間のひそかな心の中のことばのやり取りとしてなされた。「いや、確かにあなたは笑った。」ということばは、恐ろしい。暑い日だったが、サラは背筋が凍ったであろう。