苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「苫小牧通信」3号に苦言をいただきました

 「苫小牧通信」1月号に対して、匿名氏からのご批判のはがきをいただきました。1月号に、申命記の王の心得に関する記事を書いたのですが、王の心得の一つとして、私腹を肥やすなということを挙げました。その中で、「越後屋、そちも悪じゃのう」「いえ、お代官さまほどでは・・・」というお決まりのフレーズを思い出して、「越後屋」と書いてしまったのです。
 匿名氏は新潟県民でいらして、こういう文章で「越後」を紹介されるのは不愉快であると書いていらっしゃいます。きっと上に挙げたお決まりのフレーズを聞くたびに苦々しく感じていらしたのでしょう。考えてみれば、当然のお怒りだと思います。自分の身に置き換えれば、すぐにわかることでした。まことに申し訳ないことをしました。
 匿名氏なので、返信をすることができないので、次回の通信にお詫びと訂正を書くことにしました。ご批判のはがき、自戒のために、しばらく机の横に貼り付けておくことにします。

追記
 それにしても、なんで生真面目な印象がある越後人なのに、「越後屋」なのでしょうね。考えてみれば、三越の前身、越後屋は、現金掛け値なしの商売の元祖であり、それまでの騙したり騙されたり駆け引きの多い商習慣を刷新した先駆者です。
 大坂や江戸に出た商人は故郷にちなんだ屋号をつけることが多く、「越後屋」は三越だけでなく、あちこちにあります。調べてみたら、苫小牧にも越後屋という旅館があります。越後人の生真面目な気質を考えると、「越後屋、そちも悪じゃのう」というお決まりのフレーズは、気の毒なことです。越後人といえば、戦国の世で、領土拡張のためでなく正義のために戦った唯一の武将上杉謙信がいたりもしますしね。