苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

主がお告げになったとおり

アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。(創世記12章4節)


 主のご命令を受けてアブラムは旅立った。それは、生まれ故郷、父の家を出て、主の示す地への旅だった。すでに彼は75歳であったが、彼が死んだのが175歳であったことから考えると、まだ人生半ばに達していないことになる。かりに今の日本にあわせて考えると、アブラハムの75歳は35歳ほどの感じだろうか。たまたまのことであるが、筆者が信州の郡部に伝道に立ったのが35歳だった。そんなこともあって、アブラハムの旅立ち、その生涯については何度も読み返し、何度も考えさせられた。
 肝心なことは、主のお告げになったとおりに出かけることである。自分の野心、自分の計画、自分の夢、自己実現でなく、主のお告げになったとおり立つことである。主がとどまれと仰せになるならば、とどまり続けなければならない。主が立てと言われたら、何を措いても立たねばならない。
 そこで、立つこと以前、とどまること以前に、さらに肝心なことは「主がお告げになったとおり」という点であることになる。普遍的教義として確立していることは、主のお告げとして明白だからよいのだが、個別の人生の歩みの中で、「旅立て」「留まれ」といった主のみ告げをどのように聞き取るのかという耳が大事だということになる。

「主よ、お話しください。しもべは聴いております。」